亡き妻の遺志継ぐ 神戸の男性 障害者指導員に

2016/01/16 15:30

震災で妻を亡くし、男手一つで娘2人を育てた経験を生かし、障害児放課後デイサービスの指導員を務める中島喜一さん=神戸市東灘区御影中町6、ジャングルくらぶ(撮影・後藤亮平)

 阪神・淡路大震災で亡くなった妻の思いを継ぎ、神戸市東灘区の中島喜一(きいち)さん(68)が、同区の障害児向けデイサービスで指導員を務めている。「ボランティアに熱心だった妻に導かれた」と喜一さん。障害児と心を通わせる日々に、震災21年の学びや悩みが生きていると感じる。生かされた命を役立てたいと思う。(1面参照) 関連ニュース 九州豪雨 被災地支援へ準備本格化 兵庫県内 子育て世代の防災冊子作製 神戸市とP&Gが協力 9カ国の行政職員 神戸・新長田のまちづくり視察

 震災で同市灘区のアパートが全壊。妻彰子さん=当時(47)=が亡くなり、高校3年だった長女孝枝さんと中学3年の次女美恵さんが救い出された。喜一さんは通勤中だった。
 仕事一筋の生活は一転。「震災に負けず強く生きてほしい」と、自分にも娘2人にも厳しく向き合ってきた。
 彰子さんは生前、高齢者らの生活支援のボランティアに熱心だった。その思いを継ぎ、喜一さんは2000年にヘルパーの資格を取得。働きながら市内の老人ホームで週1回ボランティアを続けた。
 建設会社や警備会社で働いていたが、08年ごろ、原因不明のめまいや突発性難聴に襲われ退職。ヘルパーのボランティアも縁遠くなった。
 療養中、東日本大震災が起こった。11、12年と、知人と岩手県や宮城県を訪ね、被災者や子どもらと交流した。苦しみを抱えつつ、他の被災者を支援する遺族にも出会った。
 喜一さんが被災地から戻った夜、電話で障害児向けデイサービス「ジャングルくらぶ」の送迎の仕事を打診された。「くらぶ」を運営するNPO法人「神戸ライフ・ケアー協会」の前身は、彰子さんがかかわったボランティア団体だった。
 経験はなく戸惑いもあったが「やれるだけやってみます」と承諾。12年7月の施設のオープンに合わせ、ワゴン車での送迎と指導員の仕事を始めた。
 「ジャングルくらぶ」には約10人が通う。自閉症やダウン症の症状が重く、気持ちを言葉で伝えられない子が多いが、みんな純粋。体力的にきつく、難しい対応もあるが、娘2人を育てる中で心のケアを学んできたことが今に生きる。
 長女孝枝さんは結婚し、次女美恵さんは東日本大震災を機に「被災者を支援したい」と、鍼灸(しんきゅう)師を目指す。
 喜一さんは「妻のやりたかったことを担うことに、自分の生きる望みを求めてきた。今の仕事に出合え、新たな生きがいを見いだせた」とほほ笑んだ。
(阿部江利)

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