震災機に生まれた歌 20年間歌い継がれ 芦屋
2016/01/18 15:03
「この町がすき」を練習する合唱サークルのメンバーら=芦屋市立美術博物館
阪神・淡路大震災で甚大な被害を受けた兵庫県芦屋市で約20年間、歌い継がれている歌がある。「この町がすき」。「まちを元気づけたい」という市民の思いから生まれ、2008年からは毎朝、市役所本庁舎で流されている。14年には市民有志による「『この町がすき』を伝えるプロジェクト」が結成されるなど、震災を機に生まれた“第2の市歌”として広く親しまれている。(前川茂之)
関連ニュース
ナショナルトラスト運動定着へ奨励賞 西宮のNPO
津波訓練ポスターに有村架純さん 兵庫県
「ミニバスケ全関西大会」に丹波の2チーム出場へ
曲が生まれたのは、震災3年後の1998年春。義援金を受けた同市PTA協議会が市内の小中学校園に歌詞を募り、フォークデュオ「紙ふうせん」の後藤悦治郎さんに作曲を依頼した。当時、協議会会長だった極楽地(ごくらくじ)英子さん(62)=岩園町=は「町は崩れ果ててしまったけど、子どもたちには元気でいてほしい。そんな歌がほしかった」と振り返る。
しばらくはほとんど知られていなかったが、04年に復興のシンボルとして同市総合運動公園(陽光町)が開園した際、市内の合唱グループが披露し、急速に認知度が高まった。市がCDを制作したり、4月の「さくらまつり」などで歌われたり、今では市民が集うイベントに欠かせない一曲に育った。
震災で自宅が半壊した声楽家の加藤純子さん(66)=松浜町=は7年前から、毎年1月17日前後に開く震災犠牲者追悼コンサートで必ずこの曲を歌う。
「あの時、『頑張ろう』という掛け声があふれていたけど、この曲は違った。優しい歌詞とメロディーに気持ちが救われた」と加藤さん。14年には手話グループなどと協力して「伝えるプロジェクト」を結成し、市民で歌い継ぐ活動に尽力している。
今年も23日に同市立美術博物館(伊勢町)で開く追悼コンサートで披露する。加藤さんは「震災で生まれた歌だけど、美しい芦屋に住んでいてよかったと思わせてくれる歌。これからも歌い続けていきたい」と話している。
コンサートは無料。午後3時から。同館TEL0797・38・5432
♪この町がすき♪
春は魚たちが飛び跳ねる 桜吹雪流す芦屋川
夏は子どもたちが遊んでる 白いヨット走る芦屋浜
海と山を染めて 今日もまた陽が昇る
この町がすき あなたがいるから ヒマワリのような笑顔に会えるから