遺族代表「まだ母を思い涙」 1・17のつどい
2019/11/07 15:38
遺族代表として思いを語る山本広美さん=17日午前5時59分、神戸市中央区の東遊園地(撮影・宮路博志)
阪神・淡路大震災の発生から21年となった17日、神戸市内では市民団体や同市による「1・17のつどい」と、兵庫県などが主催の「ひょうご安全の日のつどい」が行われた。犠牲者6434人を悼み、静かに手を合わせる人々。悲しみに暮れ、不安に押しつぶされた日々から積み重ねてきた歳月を振り返り、記憶と教訓の継承を誓った。
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【遺族代表のことば 山本広美さん(42)】
ついに21年がたってしまいました。震災当時21歳だった私は、母と一緒に過ごせた年月よりも、一緒に過ごすことができない年月の方が、これからは一秒、一秒と長くなってしまいます。実際にこの日を迎えると、悲しみや寂しさは震災当時と何ら変わることはありません。
阪神・淡路大震災。私の生まれ育った家も全壊し、その下敷きとなって母は亡くなりました。一人っ子の私にとって、母は時に姉のようであり、また友のような存在でした。大好きな母と別れ別れにならざるを得なくなり、別れの言葉を交わすことすらかなわず。私のいるべき場所も見付けられず、向かう先も見失い、生きていく意味すら分からなくなってしまいました。
心に大きな穴が開きました。子どもの成長の喜びはありましたが、母を亡くした思いは和らぐことはありません。それでも、子どもがいてくれたからこそ、この21年を踏んばってこられました。心の穴はふさがることはありませんが、それとは別に、楽しく幸せな時間があるのも事実です。
私は、震災の体験を直視することができずにいました。しかし昨年、私自身が決めた「心の成人式」を迎え、多くの方々に震災のこと、大好きな母がこの世で生きていたことを伝えたいと思います。東日本大震災で苦しみのさなかにいらっしゃる皆さまに、21年という年月がたっても悲しみは変わらず、心の整理に20年を要したことを知ってもらいたいと思います。
まだまだ母を思っては涙する私ですが、「それが私なんだ」と言えるようにやっとなりました。今、私が生きているのは、母が私を産み、育ててくれたからこそです。ママ、私を産んでくれてありがとう。どうか天国から私たち家族を見守っていてください。(要旨)