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震災で兄の須賀晃弘さんを亡くした宮下恵里子さん。2歳の長男とともに追悼式で花をささげた=17日午前、芦屋市精道町(撮影・三津山朋彦)
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震災で兄の須賀晃弘さんを亡くした宮下恵里子さん。2歳の長男とともに追悼式で花をささげた=17日午前、芦屋市精道町(撮影・三津山朋彦)
須賀晃弘さん
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須賀晃弘さん

 大切な人を奪った阪神・淡路大震災から23年。あの日はまだ子どもだった。時がたち、戸惑いや恐怖、かけがえのない命を失った悲しみに向き合い、そして、自らに問うてきた。今、生かされていることの意味は何なのか-。次世代に記憶を伝える。心に寄り添えるように。私たちは精いっぱい生きて、これからの災害に備える。愛する人々に感謝を込めて。若い遺族たちは祈り、誓った。

 「まだ幼くて分からないと思うけど、少しでも兄に触れ、感じてほしい」

 献花を終えた宮下恵里子(えりか)さん(28)=兵庫県尼崎市=が、長女琉奈(るな)ちゃん(4)と長男陽向(ひなた)君(2)に目をやった。17日午前、芦屋市立精道小学校で開かれた阪神・淡路大震災の追悼式。兄・須賀晃弘(あきひろ)さん=当時(10)=が献花台の上で白い歯をのぞかせる。その姿は小学校4年生のままだ。

 23年前、芦屋市茶屋之町のマンションで被災した。住んでいた1階は地中にめり込んだ。周りが暗い。体が重い。先に助け出された父と母、弟の声がする。兄の声だけ聞こえなかった。

 即死だった。すぐに別室に運ばれ、子どもたちは面会すらさせてもらえなかった。5歳になったばかりの恵里子さんは、死を認識できなかった。ただ、兄の話をすると「家の中の空気が重くなった」。触れてはいけないんだ。自然と避けるようになった。

 それでも、成長するにつれ知りたくなった。「どんなお兄ちゃんやったんやろ」。震災後に生まれた下の弟にも、兄がいたことを教えてあげたい。明確に意識したのは芦屋を離れた小学校3年生。当時通っていた学校を休み、遺族として精道小の追悼式に参加した時のことだ。兄のためにみんなが祈っている。「とても大事なことなんや」と思った。

 生前の兄の姿を探すため、親戚に聞き回った。公園に妹たちを連れていってはブランコで遊んでくれる優しいお兄ちゃん。剣道も得意なサッカー少年。すごく優しくて、大きくて、ちょっと厳しい「頼れる兄貴」。晃弘さんが写ったビデオテープは震災で全部なくなったけど、そんなお兄ちゃん像をイメージできた。

 でも現実は、いとこも含めて自分が一番年上。両親は厳しく、いつも「お姉ちゃんでしょ」の一言で済まされた。落ち込んだときは泣きながら、晃弘さんの遺影に愚痴をこぼした。この時だけ、妹になれた。

 あれから23年。太一さん(32)と結婚し、2人の子どもに恵まれた。ゆっくりでもいいから、兄がいたことを伝えていくつもりだ。

 式の帰り際、運動場脇の慰霊碑に手を合わせた。晃弘さんの名が刻まれている。「兄が生きてたなら、お酒とか飲みながらいろんな愚痴を聞いてもらったかも」と恵里子さん。でももし本当にかなうなら、内容はどうでもいい。「しゃべりたい。たった一言でいいから」(岡西篤志)

2018/1/18

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