義一さんが懸けた夢(下)希望
2018/01/17 05:30
19年前、浜風の家でピアニストの有森博さんと一緒に撮った記念写真。「いろいろあったけど、今はよかったと思える」=西宮市内
2005年1月16日。兵庫県芦屋市の「浜風の家」で開かれた震災10年のつどいで、ショパンの「幻想即興曲」を弾き、作文を読んだ。
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「ピアニストを目指して頑張ります」
当時小学6年生の女の子。演奏を聞いた故藤本義一さんが、参加者の前で「ピアノを弾いているときは、大きく見える」と話してくれたことを覚えている。
女の子は今、25歳になった。西宮市で暮らし、子どもに音楽を教える仕事に就いている。
浜風の家との最初の関わりは、1999年1月17日の開所式にさかのぼる。当時は6歳。藤本さんが脚本を書いた朗読劇で、ピアノの演奏を担当した。
きっかけは、浜風の家を運営する社会福祉法人の理事が経営する音楽教室に通っていたから。
開所式には国内外で活躍するピアニスト有森博さん(51)=東京芸術大准教授=も出席していた。有森さんはヤマハのグランドピアノを施設に寄贈し、“弾き初め”として「幻想即興曲」を奏でた。
「あの曲を弾きたい」。女の子が口にしたのを、同席していた音楽教室の先生が聞いた。先生は「今は弾けないけど、いつか弾けるからね」と言葉を返した。
それが6年後、同じグランドピアノで実現する。小学生時代、ピアノコンクールで賞をもらうなどし、膨らませた将来の夢。それまでは「夢を文章にして誰かに言ったことはなかった」というが、震災10年のつどいでは約100人を前に語り、軽やかな演奏で魅了した。
◇
そんな彼女は2歳のとき、西宮市内のマンションで阪神・淡路大震災に遭った。家族は無事だったが、しかし-。
「父の仕事がうまくいかなくなり、家計が苦しくなった。全壊した料理店を建て直すために借金をしたけれど、結局、店はだめになって両親は離婚した。震災がなかったら、店はそのままうまくいっていたかもしれない。高校、大学時代、本当にしんどかった」
震災から23年を生きた彼女が振り返る。
「だけど、負けたくない、一人で生きていく力がほしいと思った。悪いことが多かったけれど、そこからどうしていくかが大事だと思ってきた」
小学6年で語ったピアニストになりたいという夢は、高校時代に自分を助けてくれた先生との出会いを経て、「子どもに教える仕事に就きたい」という夢に変わった。
そして今、「子どもたちがかわいくて、楽しくて。夢がかなった」。
「1・17」が巡ってくる。多くの子どもたちの夢や成長を見守ってきた浜風の家はきょう閉館する。(中島摩子)
【藤本義一さんの言葉】
「浜風の家」は子どもの“夢”を育てるひとつの場所でありたいと考えている。(2006年1月、浜風通信77号)
子供たちが施設で得た小さな知識、小さな技術が子供たちの成長過程で大きな根の広がりを見せることこそが、施設存続の真の意義であると思います。(08年1月、浜風の家通信2号)