義一さんが懸けた夢(中)友だち
2018/01/16 05:30
震災10年のつどいで連弾する松本さん(右)と田中さん=2005年1月(浜風の家提供)
「浜風の家の玄関に入ると、ただいまという感じ。私の第二の家でした」
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京都造形芸術大4年田中智子(ともこ)さん(27)=芦屋市=がそう振り返ると、その横で会社員松本知子(ともこ)さん(27)=同=もうなずいた。
2人は小学生のころ浜風の家で知り合い、今も仲のよい友達同士。浜風の家では、名前にちなんで“ともともコンビ”と呼ばれ、一つの席に並んで座り、よくピアノを弾いた。
◇
2人は同じ芦屋のマンションで阪神・淡路大震災を経験。当時4歳だったが、その記憶は今も鮮明だ。
田中さんは、マンション18階の自宅から親に手を引かれ、階段で地上まで駆け下りた。揺れで目を覚ました松本さんも「全部が揺れているからか、テレビの砂嵐がザーって流れているように見えた」と、その混乱ぶりを語る。
4年後、「浜風の家」が開設。夏休みに地元の小学生の間で評判になり、多ければ1日で約200人の子どもたちが集まった。2人が通いはじめたのは、小学3年の頃。集会所にあるグランドピアノが、2人をつないだ。
「どっちが最初に声を掛けたっけ?」「全然覚えてない」
2人はジブリやディズニー、クラシックなど毎日時間を忘れて鍵盤と向き合った。“ともともコンビ”の小さな演奏会も開かれ、2005年1月の「震災10年のつどい」では連弾を披露した。松本さんは当時を思い起こし、「ピアノが2人の懸け橋になっていた」と語る。
浜風の家について、松本さんは「学校ではあまりなじめない子も、浜家には積極的に来ていた」。田中さんも「私も少しそんな感じの子どもだった。浜家はどんな子でも受け入れてくれた」と口をそろえる。
知らない子同士でも、ここではお構いなし。気付けば座布団をぶつけられ、投げ返す。素になって遊ぶことが、一番のストレス発散。指導員らが目指した自由な遊び場だった。
中学進学後も、部活動のない土日は変わらず浜風の家に顔を出した。「親とけんかして家を飛び出してきた。まるで避難所」「受験勉強が嫌で、図書館に行くってうそをついてきた」。理由は変わっても、来る場所はいつもここだった。
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浜風の家の閉館が決まり、昨年12月16日に同窓会があった。2人は同級生らに背中を押され、12年ぶりに鍵盤の前に座った。
松本さんが主旋律、田中さんが伴奏を担当。曲目はやっぱりジブリ。「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」のメロディーを響かせた。
「よく弾けたね」と少し驚いた表情の2人。「おばあちゃんになっても“浜家行ったね”て話してるかも」と笑い合った。(竜門和諒)
【藤本義一さんの言葉】
なにも目立った活動をしなくても、施設長や職員の耳に子供たちの笑いや騒がしさが伝わってくれるなら、もうそれで十分だと思う。「浜風の家で新しい友だちが出来た」。これだけで十分なのだ。(2002年1月、浜風通信29号)