故人慈しむ遺族らの思い 慰霊と復興のモニュメント

2018/01/17 22:00

銘板を見つめる美内明子さんと、長女羚杏さん=東遊園地(撮影・大森 武)

 阪神・淡路大震災から23年を迎え、「1・17のつどい」が開かれた神戸・三宮の東遊園地。地下に犠牲者の銘板が並ぶ「慰霊と復興のモニュメント」には、大切な人を失った家族や友人の姿が絶えなかった。その肌に触れられるかのように、指先で名前を慈しむ。会場は深い祈りに包まれた。(上杉順子、上田勇紀)

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 「私の中では、まだ死んだって認められない」。母親の藤井あい子さん=当時(83)=を失った神戸市東灘区魚崎中町の介護職、寺内和子さん(69)は変わらない心情を打ち明けた。
 母は東灘区で1人暮らしをしており、つぶれた家屋の下敷きになった。急いで駆け付け、がれきに手を伸ばすと母の足に触れた。「まだあったかい!」。助け出されたが手遅れだった。
 後悔からヘルパーの仕事に就き、昨年には介護福祉士の資格を取った。
 今月10日の母の誕生日には、姉と遺影にケーキを供えて祝った。「いつまでも親離れできひん。常にそばにいる感じ。ほんまに、お母さん子やったんやなあって」。いとおしそうに母の銘板をさすった。
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 「父の名前があるこの場所を記録したい」。神戸市垂水区の吉本美穂子さん(76)は、そう言って銘板にカメラを向けた。
 長田区で一人暮らしだった父親の中野重一さん=当時(76)。震災で傾いたアパートで過ごして肺炎になり、震災後1カ月半で亡くなった。公式の震災死者以外の人の銘板掲示が始まった2003年、「生きた証しを」と父の名を刻んだ。
 賭け事や酒好きが災いし、両親は幼少時に離婚。父に再び連絡を取ったときは20代後半になっていた。「大人になって知る父はいい父だった」といい、正月や誕生日を祝う穏やかな交流がうれしかった。銘板の写真は息子や娘に送る。「震災の怖さ、悲しさを子や孫に伝える時期が来ました」
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 祖母の大和田萬壽子さん=当時(74)=を亡くした芦屋市の美内明子さん(40)は、長女羚杏さん(9)の手を引き、東遊園地を訪れた。夜明け前から強い雨だったが、羚杏さんが「今年も行こう」と誘ってくれた。「あの日のこと、少し分かるようになったのかな」。明子さんがほほえむ。
 かわいがってくれた祖母は「もう1人の母親のような存在」。震災の年の正月、祖母がくれた白地に花柄模様の「宝石箱」はいまも大事にしている。祖母に「助けられた」との思いも。多くの家具が転倒した自宅で、明子さんの寝室のタンスだけ倒れなかった。
 銘板の前で2人、手を合わせるのは今年で3回目。「また来年も来ます」。笑顔で伝えた。

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