1995年1月16日を覚えていますか
2019/01/15 15:10
激震で発生時の時刻で止まり校庭の花壇に落下した大時計=1995年1月17日、神戸市東灘区魚崎中町、魚崎小学校
「阪神・淡路大震災の発生から24年です。震災の前日、1995年1月16日、月曜日、3連休の最終日。あなたはどこで何をしていましたか?」
神戸新聞ツイッター公式アカウントで1月9日、コメントを募ったところ、平穏だった前日の神戸で大切な時間をすごした人たちから、50件のコメントをいただきました(15日15時現在)。一部を紹介します。(ネクスト編集部)
■懐かしのあの場所、あの店
・当時20歳。友人と阪急三宮の吹き抜けの下で待ち合わせ。三宮周辺で1日過ごしました。どこで何をしたのか、震災が強烈過ぎて記憶が吹き飛んでしまいました
・母と妹と3人で「ヴァージンメガストア神戸店」で欲しかったCD買い、「ケーニヒスクローネ」でお茶しました。前日いた街がすっかり変わり果てたことにショックでした
・友達と新神戸OPAのショットバー的なカフェで食後ずっとしゃべってました。数時間後、友人宅は全焼、我が家は全壊
■「入場行進曲はSMAP」の途中で
・夕方のテレビで、高校野球甲子園大会の入場行進曲がSMAPの「がんばりましょう」に決まったとのニュースを見ていたら地震速報が入りました。震度1でした。予震だったんじゃないかと今でも思っています
・前日の夕食時、大阪湾の震度1の地震に母が「気持ち悪い」。私の「地震が来たらどうする?」から始まり、皆でまず何をするか話した。約10時間後、本当に大地震を体験
・当時小学5年生、震災前日は父の同級生のお宅で新年会。そろそろ帰ろうかと話した時、震度1の地震速報。なんか嫌な揺れやねぇと話していたのを子どもながらに覚えています
■数時間後に一変
・当時付き合っていた彼女と神戸の夜景を楽しんだあと、いつものように車で43号線を通って帰りました。数時間後に、自分たちが通った道の上を走る高速道路が倒れるなんて。その彼女と翌年結婚。今は離れて別々の道を歩んでいます
・娘の1歳の誕生日を、遠方から来た義両親と共に迎えていました。長田区役所近くの散歩コースをてくてく歩きながらビデオで撮影。その様子は数時間後に一変しました
・「外に出ても恥ずかしくないパジャマを着てて良かった」と今でも家族で話してる
・当時高校生。明日マラソン嫌だなぁと眠れなかった記憶。まさか授業ごと無くなるとは
・神戸のホテルで大学の先輩の結婚式二次会に出席、ビデオ撮影係に。ビデオに映った人の中には地震で亡くなった人も
■当日の記憶を送ってくれた方も
・大阪のマンションで被災、11階だったので激しく揺れた。隣で寝てた2歳の娘におおいかぶさったら、たんすが倒れてきて必死で支えた。ポタポタと娘の顔にしずくが落ちた。洗面所に行ってろうそくの灯りで見ると血まみれ、頭を三針縫った。その娘は昨年、孫を産んだ
・当時22才、ダンプ運転手。変わり果てた神戸の町を泣きながら瓦礫を運んだ。忘れたらアカンけどあまり思い出したくない、けど忘れられない光景
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2019年1月17日、阪神・淡路大震災から8766日です。