阪神・淡路から24年 母と亡き娘の8767日 明石
2019/01/17 05:30
美幸さんの写真を眺める美佐代さん=明石市
8767日。あの大地の揺れから、私たちが歩んできた日数です。あなたは一日一日を、どのように過ごしてきましたか。
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阪神・淡路大震災で犠牲になった兵庫県明石市の市民は26人。このうちの一人、大川美幸さんは当時20歳。
ホテルオークラ神戸のレストランに派遣で働いていました。
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1995年の元日は、「1人暮らしがしたい」と美幸さんが19歳の春に家を出てから、初めて迎えた正月でした。
「おせち料理するから一緒に食べよう」。母親の美佐代さん(70)が声をかけ、久しぶりに明石の自宅で一緒に過ごしました。
カメラを持っていた美佐代さんは、「せっかくだから」と何枚も写真を撮りました。自宅でも、初詣に行った柿本神社でも。
「笑って」とカメラを向けると美幸さんは「恥ずかしいやんか」と照れました。今思えば、たまたま撮った写真。遺影になるなんて考えもしませんでした。
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美幸さんは17日、遊びに行っていた芦屋市内の友人宅で亡くなりました。
知らせが届いたのは地震発生から数日後。直後から美佐代さんは美幸さんだけでなく、神戸で暮らす親戚にも電話をかけ続けましたが、誰ともつながりません。不安はありましたが、美幸さんはポケベルを持たずにどこかに避難しているだろうと思っていました。
「まさか」
家を飛び出しました。
家族3人で車を走らせ、遺体が安置されている場所まで一晩ほどかかりました。美佐代さんの頭の中は真っ白です。
遺体は芦屋市内の小学校にあると聞いていたのですが、到着した時には武庫川沿いの寺に移されていました。雨の降る中、やっとたどり着くと、すでに、たくさんのひつぎが並んでいました。
美幸さんも、同じようにひつぎの中に寝かされていました。美佐代さんは崩れ落ち、動けなくなりました。家族によると、気絶していたそうです。
前後の記憶はあいまいです。
美幸さんの顔が安らかで、きれいだったことは覚えているそうです。死因は圧死でした。
手続きに追われる日々が続きました。片付けのため、美幸さんが1人暮らしをしていた神戸市兵庫区のマンションを訪ねました。
そこはほとんど壊れていませんでした。
「ここにいたら、生きていたはずなのに」。やり場のない怒りと後悔がこみ上げました。芦屋市へは24年がたつ今も、足を運ぶことができません。
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震災後、美佐代さんはふさぎ込み、自宅にこもりがちになりました。美幸さんのことばかり考えてしまいます。
「クッキーを焼くから」と突然電子レンジを買って来たこと。小さい頃「ちゃぷちゃぷ」と歌いながら一緒にお風呂に入ったこと。遺骨を抱え、何度も泣きました。
「肩の荷が下りた」と感じられたのは、震災から3年ほどたって納骨を済ませた時でした。
墓を建てられる寺がようやく見つかりました。「やっと自然にかえしてあげられる」。少しほっとしたのを覚えているそうです。
あの日、なぜ芦屋に行ったのかは今も分かりません。けれど、美幸さんの死後、分かったことがあります。友達の多さです。
幼い頃は内向的でおとなしかったのに、成長とともに社交的な性格に変わりました。気が利く一面もありました。
思い出すのは、最後になった元日の初詣。カメラのストロボの電池が切れそうなのを察して、いつのまにかどこかで電池を買い、何も言わずにサッと渡してくれたのです。
友人は「大川が使っていた物だから」と、ホテルの制服や、財布を持ってきてくれました。今でも「お母さん、どないしてます?」と顔を見せに来てくれます。
去年の1月17日も、誰かが墓を参ってくれたみたいでした。
かすみ草の花がぎゅうぎゅうに束になって供えられ、友達と楽しそうにしている写真のカラー印刷がジップロックに入って、飾ってありました。
ペットボトルのお茶も置いてありました。ふたをちょっとだけ緩めた状態で。
たくさんの人が来てくれるから、美佐代さんは17日、なるべく自宅にいるようにしています。
「誰かが訪ねてきたら、ちゃんとお礼しといてね」
美幸さんから言われているような気がするからです。
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きょうで震災から8767日です。
普段、誰にも話さない記憶。14年前に取材を受けた時は、途中で涙があふれ、洗面所でおえつしてしまったそうです。
「美幸さん、きょうは大丈夫よね」。今回の取材の日の朝、美佐代さんは仏壇の前で泣いたそうです。だからかどうか、この日、涙はありませんでした。
「最近は、少しは笑って生きてもいいのかなと思えるようになったんです」。美佐代さんはほほ笑んでくれました。
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一つだけ、付け加えます。美佐代さんは美幸さんの服を今も大切に保管しています。季節が変わると、お気に入りの服をハンガーにかけて楽しみます。
冬、春、夏、秋、冬、春、夏、秋、冬、そして春。
これからも季節は巡ります。(勝浦美香)