泣き言いってられなかった 震災時に福祉ボランティアの女性

2019/01/17 05:30

梅谷公子さん=加古川市

 きょう17日、阪神・淡路大震災から24年になる。6千人以上の命を失った悲しみと、苦難の復興を知る人たちは時の流れをかみしめ、教訓を伝えられた若者たちは備えの大切さを思う。兵庫県の東播ゆかりの人に「震災」を語ってもらった。 関連ニュース 姫路で4人感染3人死亡 高齢者施設でクラスター 姫路で新たに13人感染、3人死亡 新型コロナ 「十字紋の鬼瓦」30年ぶり化粧直し 姫路城「にの門」

 24年前は「コープこうべ」職員で、姫路市を拠点に福祉ボランティアを担当していた。震災発生から数か月後、家を失った被災者が入居する仮設住宅が各地に設置され、私はコープのボランティアの取りまとめをすることになった。
 担当した仮設のうち、JR東加古川駅近くの「東加古川団地」は、被災地外では最大の千戸規模。入居者も多く、全国からたくさんのボランティアが集まった。当時はモデルもマニュアルも何もなく、ボランティアも、受け入れる側も全て手探り。
 入居者は多様だった。幼い子どもがいる家庭や病気がちの高齢者、外国人、障害者…。困っていることも、例えば「テレビが映らない」「病院が分からない」などさまざまだった。要望を聞き取り、他の団体に協力を求めるなどして、何とか解決を図った。
 東加古川団地が解消するまで約4年。団体間の調整などに苦労してストレスで耳が聞こえなくなったこともあったが、当時は泣き言を言ってられなかった。もう無我夢中。つらい経験も多かったので、昨年まで東日本大震災の被災地に行くことができなかった。
 でも東日本ではコミュニティーを維持するため、地域の住民が同じ仮設に入居するようになったことなどを聞くと、ああ阪神・淡路の教訓は伝わっていたんだな、と感じる。
 私自身にもあの経験から多くの気付きがあり、大学に編入して社会福祉士の資格を取得した。16年前からは、仮設で一緒に活動した医師に誘われ、加古川市内の認知症高齢者向けグループホームに勤めている。仮設で直面した高齢者の医療の問題などが頭にあった。
 今から思えば、私も震災で人生が変わった1人なのだと思う。(聞き手・切貫滋巨)

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