志半ばで震災死 「兄貴」の遺志継ぎエイサー普及
2019/01/18 15:05
兄弟同然の仲だった古家正博さん(右から2人目)と玉那覇正樹さん(左端)
沖縄出身者が多く暮らす兵庫県宝塚市高松町で、子どもたちに沖縄の伝統舞踊「エイサー」を手ほどきする教室が今年、発足から10年を迎える。踊り手がいなくなった町に「もう一度エイサーを」と活動を始めた沖縄3世の古家正博さん=当時(24)=は阪神・淡路大震災に遭い、志半ばで亡くなった。あれから24年。遺志を継いだ同じく3世の玉那覇(たまなは)正樹さん(44)は大切な兄貴分に心で語り掛ける。「マーちゃん、見てるか。まだまだ頑張るからな」(広畑千春)
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「俺、エイサーしたいねん。一緒にやらん?」。古家さんにそう誘われたのは震災前年の春だった。玉那覇さんは土建業の一人親方をしていた古家さんの下で働き、兄弟のように過ごしていた。酒が強くて世話焼きで、妻和子さん(43)との仲を取り持ってくれたのも古家さんだった。
高松町周辺には戦前から多くの沖縄出身者が移り住んだが、世代交代が進み、震災前にはエイサーは姿を消していた。古家さんと玉那覇さんは踊りを知る人を探し、太鼓を借りて武庫川河川敷で練習を始めた。次第に仲間も増え、ようやく形になりかけたころ、震災が起きた。崩れたアパートの下敷きとなり、古家さんは帰らぬ人となった。
支えを失い、抜け殻のようになった玉那覇さんを救ってくれたのが、古家さんの思い出と重なるエイサーだった。尼崎市を拠点に活動する「琉鼓会」に入り、「エイサーは死者を悼む踊り」と知った。本格的に練習を始め、地元・高松町の自治会でも踊りへの参加を懸命に呼び掛け続けた。
熱意が少しずつ周囲を動かし、10年前の5月、自治会長に子ども教室の開催を打診された。最初は6、7人だった生徒は6倍近くに増え、小学校でも教えるようになった。昨年夏の盆踊りでは約40人がエイサーを披露した。
玉那覇さんの3人の息子も踊り手として父の後を追う。「もっとうまくなって父ちゃんを超えたい」と長男の瑛正さん(14)。この17日を前に息子たちに古家さんのことを初めて話したという玉那覇さんは「エイサーが自分に生きがいと自信をくれた。全部、マーちゃんのおかげ」と改めて感謝の言葉を口にした。