消防、警察…復興尽力の5人、当時の極限状態語る

2019/01/21 22:25

阪神・淡路大震災で消防隊員を指揮した経験を語る木下茂信さん=明石市大久保町西島

 阪神・淡路大震災当時、警察官や小学校教員、市の仮設住宅建設担当者として復旧、復興に尽力した市民5人が27日、江井島コミュニティ・センター(兵庫県明石市大久保町西島、江井島中)で体験を語る。当時兵庫消防署消防第2係長だった東江井自治会長、木下茂信さん(68)=同市=も、現場指揮の状況などを次世代に伝える。 関連ニュース 原発避難815人、未だ仮設生活 来春で無償提供は原則打ち切り 仮設の半数、洪水浸水区域に建設 10日の大雨で2団地被害、能登 漁場が消えた!海岸線が変わってる 地震後に更新された地理院地図に驚き「復興に進む能登半島を知ってほしい」

 木下さんは当時、22人の消防隊員を統括する立場だった。
 17日は非番だった。震度5以上で自動的に参集することになっており、午前6時ごろ車で市内の家を出た。
 神戸市兵庫区の兵庫消防署に着いたのは午前11時半ごろ。丸山大橋(同市北区)から市街地の猛煙が見え、同乗していた同僚も声が出なくなった。
 兵庫区では17カ所で火災が発生。猛烈な炎でどうしようもなく、放水しても焼け石に水だった。
 燃え尽きるのを待ったり、延焼防止で燃えていないところに放水したりするのを見た市民から怒鳴られることもあった。
 18日夜中まで活動し、署に戻って机に突っ伏して休息。極限状態で最初の5日間は眠くなかった。
 しかし、隊員は3日目になると体力が落ち、インフルエンザで倒れだした。他の隊員に感染しないよう病院にとどまらせたが、東灘消防署や灘消防署、自衛隊は休憩を取らせていると聞き、体制を組み直した。
 初めて帰宅したのは8日目の24日。やっと、温かい湯船に身を沈めた。
 春になると、被害が少なかった地域への異動が続出した。遺体が多数残る焼け跡を見た隊員が「もう現場を見たくない」と強いストレスを抱えたからだった。
 これまでの経験が通用しなかった大火災。巨大地震の恐ろしさを痛感した。木下さんは今、こう感じているという。
 火災をぼやのうちに消せた地域は住民同士の連携がうまくいったところが多い。大規模災害では、最初の3日間は消防を頼りにできない。住民の共助が重要になる。
     ◆
 木下さんのほか、仮設住宅の建設を担当した明石市元職員、西宮市で被災者の救助に当たった元警察官、崩壊した神戸港岸壁で貨物の調査をした元会社員、教員として震災後の子どもと教育現場を見た元小学校長が、当時の体験を約10分ずつ語る。
 午後1時半から。参加無料。申し込み不要。江井島まちづくり協議会TEL078・946・0149
(吉本晃司)

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