母になり初めての1・17 埼玉に嫁いだ30歳女性

2019/01/23 05:30

故郷から遠く離れた場所で子育てに奮闘する三苫望美さん。娘の紗來ちゃんは10カ月になった=埼玉県三郷市早稲田(撮影・風斗雅博)

 阪神・淡路大震災の発生から丸24年となった17日。故郷の兵庫県西宮市から500キロ以上離れた埼玉県三郷市で暮らす三苫望美さん(30)は、生後10カ月の娘、紗來ちゃんといつもと変わらない朝を迎えた。 関連ニュース 尼崎市で34人感染、新規クラスターも 新型コロナ 西宮市で17人感染、1人死亡 新型コロナ 新型コロナ、兵庫で206人感染 各地でクラスター

 激震があった午前5時46分に目が覚めることはない。起きてから紗來ちゃんのおむつを替え、離乳食を食べさせる。昼寝の間に家事をこなす。つかまり立ちを始めた娘。「かわいくて仕方ない」と頬を緩める。
 ただ、いつもと違うのはこの日が「大切な人の命日」ということ。母となって初めて迎えた1・17。娘の顔を見ると思う。「お母さん、お兄ちゃん、やっぱり紗來を会わせたかったよ」
 24年前、「のぞみちゃん」は6歳だった。住んでいた西宮市今津上野町の文化住宅1階が崩れた。母親の美貴さん=当時(33)=と双子の兄、昭雄君=同(6)=と一緒に寝ていたが、ピアノと鏡台の隙間にいた望美さんだけが助かった。
 2人の死は数日後、避難所で聞いたように思う。「むっちゃ泣いた、という記憶がうっすらあるだけ」。望美さんは、近所で暮らす母方の祖父母、野村一夫さん(87)と佳さん(84)に引き取られ、仮設住宅で暮らし始めた。
     ◇
 震災から3カ月後、小学校に入学した。「周りが思うほどさみしい思いはしなかった」。参観日に祖母が来るのが嫌だったくらい。友人関係に口出しする佳さんと、言い合いにもなったが、「ばあちゃんとは、どこにでもいる母と娘みたいだった」
 それでも、急に不安定になった。「お兄ちゃんは優しくてお母さんは頭が良かった。いい人ほど早く死ぬねんな」と佳さんがこぼし、「何で私だけが生き残ったんやろ」と悲観的になった。
 震災当時の記憶はないはずなのに、高校生の頃まで地震のニュースを見られなかった。「無意識に思い出したくなかったんだと思う」。今でも、母や兄との写真を見るのは抵抗がある。「一人で見たらどんな感情がわき出すか、怖い」
 高校、大学へ進学し、住宅販売会社に就職した。2013年、25歳で同僚の憲弘さん(31)と結婚。埼玉へ嫁いだ。そんな人生の節目でも、「亡くなった母を意識することはなかった」
 4年後に妊娠が分かった。盆休みに帰った実家で、おなかの中のエコー写真を持ち、仏壇の母と兄の2人に報告した。どんどん大きくなっていく自分のおなかを見て、ふと母を思った。身長148センチの望美さんと同じく小柄だった母は、双子を産み、育てた。「やっぱりお母さんはすごい。私なら絶対無理」。記憶にない母を、初めて近くに感じた。
 昨年3月20日、紗來ちゃんを出産した。西宮に里帰りし、子育てに励んでいた昨年6月、大阪府北部地震が起こった。「ドン」という揺れに、布団の中にいた望美さんはとっさに隣で寝ていた紗來ちゃんのベビーベッドを押さえた。「この子は絶対に守らなあかんって気持ちが芽生えた」
 同時に、「育ててくれたじいちゃん、ばあちゃんは大変だっただろうな」と実感した。「守る側」になって、「守られてきたこと」を知った。(斉藤絵美)

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