部下守った保険会社の元支店長 児童に「いのちの授業」

2019/12/28 09:55

「今を楽しく懸命に生きることが大切」と語る瀬尾征男さん=東京都千代田区

 阪神・淡路大震災の発生時に、損害保険会社の神戸支店長だった東京の男性が、都内の小学校で経験を語り継ぐ「いのちの授業」に取り組んでいる。有事にあって業務よりも部下の安全を優先させた采配や、幼少期の戦争体験、近年のがん闘病にも触れて、困難に直面した時の心構えを説く。「自分の命は自分で守る」「良いことの裏には悪いこと、悪いことの裏には良いことが必ずある」と語り掛ける。(佐伯竜一) 関連ニュース 破裂音、噴煙、飛び交う岩石…10年前の御嶽山噴火、その時何が 死者58人、行方不明者5人の災害で変わった人生 3頭身で描く「野ざらしの死」…漫画家の武田一義さん、激戦の島が舞台 「体験せずになぜ描ける」。生還者からの問いに感じた責任とは【つたえる 終戦79年】 【インパール作戦から80年】日英に翻弄、住民が犠牲に 悲哀伝え、語り継ぐ 印北東部の平和資料館長

 東京都中野区の瀬尾征男(ゆきお)さん(79)。当時、東京海上火災保険(現東京海上日動火災保険)の取締役神戸支店長として、現地対策本部の中心を担った。
 発生時は神戸市中央区の社宅にいたがけがはなく、旧居留地にある支店へ徒歩で出勤した。鉄道は寸断され、家屋やビルが倒壊し、生き埋めの人もいた。電話は不通で近くに知人もおらず「何をしたらいいか。人を助けようとしても一人では何もできないことが分かった」と振り返る。
 職場では、身の安全確保に勝る仕事はないと訴え、業務上の細かい指示を出さず、最低限の優先順位を示して社員に行動を一任した。すると、支店の復旧や被災した顧客への対応などが進んだ。「みんな立派に仕事をしてくれた。生きるために自分で考え、行動し、責任を持つことが重要」と確信したという。
 授業参画は退職後の2015年。震災時に安田火災海上保険(現損保ジャパン日本興亜)の兵庫本部総務課長だった児島正さん(71)=横浜市=が阪神・淡路大震災の語り部をしており、依頼されて活動を始めた。
 授業では戦争の疎開体験も語る。近所の子らにいじめられたが、竹馬や木登りを覚え、やられっぱなしではなくなった。「自分を含め、人の心や体を傷つけてはいけない。こう言えば人がどう傷つくか考えて」と語る。がんになったことも「いい経験」と思えるようになった。「明るく広く前向きに」と訴える。
 児童からは「相手がいじめと感じたらいじめ。人の気持ちに(寄り添えるように)なりたい」などの声が寄せられ、手紙をもらうことも多い。
 授業をサポートする児島さんもがんを経験しており「瀬尾さんの話は年齢に関係なく心に届く。私自身も手本にしている」と語る。
 瀬尾さんは「自分で考えて決めないと動けない。普段から一人ひとりが当事者意識を持ち、命を守ってほしい」と話す。
     ◆
 瀬尾さんは、ひょうご震災記念21世紀研究機構などが阪神・淡路の教訓を後世に伝えるため、地元政財官の関係者に実施したインタビューで、聞き手と語り手の両方で参加した。一企業人の軌跡を1月から経済面、地域経済面で連載する。

神戸新聞NEXTへ
神戸新聞NEXTへ