共助の心今もなお 震災ボランティアに触発 炊き出しから地域の配食サービスへ

2019/12/30 09:21

震災後の神戸でボランティア向けに炊き出しをする太美京さん(右)たち(CS神戸提供)

 阪神・淡路大震災の被災地に駆けつけたボランティアに刺激を受けて「私にも何かできないか」と、炊き出しを始めた女性がいた。2018年11月に92歳で亡くなった神戸市東灘区の太美京(たみきょう)さん。ボランティア向け炊き出しを発展させ、仮設住宅の避難者への弁当作り、さらに現在も続く地域団体による高齢者向け配食サービスとして根付かせた。震災25年を前に、ゆかりの人たちが太美さんが遺(のこ)したものを見つめ直している。(段 貴則) 関連ニュース あの日食べたもの…大震災直後の食事 1995年1月16日を覚えていますか 非常食になる「お菓子ポシェット」話題 30分で簡単に

 神戸・三宮の生田神社で事務職や管楽器「笙(しょう)」の演奏などを務めた太美さん。震災時は1人暮らしで高校の体育館に身を寄せ、1995年4月、主婦仲間と、ボランティア向けに豚汁やカレーを作る炊き出しを始めた。毎日約30人分。献立を考え、仕入れから買い出し、人の手配などを手掛けた。
 親族の女性は「体育館に全国からボランティアが集まり、おば本人は『助けられた』との思いがあったのでは。ボランティア元年と言われたが、おばにとっても同じ」と振り返る。
 炊き出しは、2年後、配食サービス「あたふたクッキング」に発展。16年に地域団体「東灘こどもカフェ」(中村保佑代表)に引き継がれた。
 現在も太美さんが大事にした「家の味」を守り、1日60~70食、高齢者や障害者、アレルギーのある子どもらに弁当を作る。メンバー代表の川崎善子さん(67)は「担い手は震災を経験した70~80代が多い」。太美さんを「ボランティアで地域に貢献することを体現した人」と表現する中村代表は「私も75歳の後期高齢者になったが、太美さんから、何歳になっても地域や誰かの役に立とうと動き始められることを教えられた」と話す。
 太美さんが炊き出しや配食を始める際に、背中を押してきた人の中には「1人が動き始めると、周りの100人が触発され、地域が変わる」として、主体的な市民社会づくりのあり方を見いだした人もいる。
 認定NPO法人コミュニティ・サポートセンター神戸(CS神戸)の中村順子理事長もその一人。社会基盤を土に、CS神戸のような支援組織を水にたとえ、太美さんの活動から「草の根とは、土と水があれば枯れることはないと感じた」とし、支援組織としてのあり方を再認識したという。
 また思いを持った人の活動を継続的にサポートできるよう、活動する人と支援組織などをつなぐ仕組みの重要性を説く。その上で「地域に課題は多いが、元気な高齢者も多い」と語り、第二、第三の“太美さん”が続くことを願う。

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