震災で一度途絶えた地元の味 丸五市場のそば焼き
2020/01/16 18:45
そば焼きを焼く入口茂子さん=神戸市長田区二葉町3
阪神・淡路大震災で一度は途絶えた神戸市長田区のそば焼きの名店の味を受け継ぎ、守り続けてきた女性がいる。同区二葉町3の丸五市場に「そば焼 いりちゃん」を構える入口茂子さん(77)。震災から25年、新長田駅南地区の再開発事業や県と市の合同庁舎新設などで、街は大きく様変わりした。それでも入口さんは「震災前の懐かしい味を覚えて通ってくれる人がいる」と、今日も手際よくテコを振るう。(喜田美咲)
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入口さんは、震災前、街の顔だった神戸デパート(同区腕塚町5)地下のそば焼き店「金六」で18年間、パート勤めをしていた。同店の食事メニューはそば焼きのみ。甘みのあるソースで飽きのこない味が人気で、地元住民の憩いの場だった。入口さんも週6日、調理場に立ち、店主がいない日は店を任される存在だった。
震災の朝。自宅で寝ていた入口さんは、あおむけだった体が跳ね上がり、うつぶせになるほど、激しい揺れに襲われた。自宅は全壊。夫と息子、妊娠して帰省中だった娘と一緒に家族全員が生き埋めとなった。近所の住民らに助け出されて無事だったが、被災した神戸デパートとともに、金六は閉店を余儀なくされた。
震災後、仮設店舗で日用品を扱う店を始めた入口さんに、金六時代の常連客が声を掛けてきた。「おばちゃん、そば焼いてや」。金六の味を求める声に背中を押され、郷里の徳島に戻っていた元店主に相談したところ「あなたがやってくれるなら」と快諾してくれた。
丸五市場に「そば焼 いりちゃん」を開いたのは震災3年後。店名は、子どもが友人から呼ばれていたニックネームをつけた。金六閉店時に譲り受けていた包丁を使い、同じ食器も買いそろえた。少しのラードで炒め、味付けはカツオ粉や七味でさっぱりと。ソースは後がけで、客が好みの量をかける食べ方もそのまま再現した。
「この味をなくすのは寂しい」。金六の元店主の言葉を守り、味は決して変えない。4人用のテーブル1卓のみの小さな店だが、持ち帰りの注文も多く、なじみの客が買いに来ては世間話をして帰る。「いりちゃんはほんまに客のことをよく見てるよ。今度友人も連れてくるね」。
ピーク時130軒あった丸五市場も、現在営業を続けるのは11軒のみ。入口さんは「震災から20年がたった頃から、ようやく記憶を話せるようになった。震災以降、若い人が街を出て行き、子どもの声が聞こえなくなったことが、一番寂しいねえ」とこぼす。
自身は喜寿を迎えたが「『学生時代の思い出の味だから』と、大人になってまた来てくれる人もいる。元気なうちは続けていきたい」と笑顔を見せた。