震災25年語る 身代わりになってくれたおばあちゃん
2020/01/17 05:30
和洋菓子店を切り盛りする木本知江美さん=徳島県海陽町、海部菓子ロマンきもとや
阪神・淡路大震災から17日で丸25年を迎える。震災で大切な家族や友人を亡くした人々はこの四半世紀、それぞれの故人への思いを胸に生きてきた。「身代わりになって生かしてくれた」と感謝し、「震災がなければもっと生きてくれていたのに」と悔やむ。そんな遺族や被災者とともに、これからも震災を語り続けたい。次代に記憶をつなぐために。悲しみを繰り返さないために。(高田康夫)
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「本当にうれしそうだった。ちょうど、その時に遼も目を開けて」
祖母の野島ちよさん=当時(83)=を震災で亡くした徳島県牟岐町の木本知江美さん(51)は、生まれたばかりの長女遼さんを抱くちよさんの写真を取り出した。1994年11月。これが最後とは思っていなかった。
知江美さんは、淡路市野島蟇浦にあった野島さん宅で育った。生まれてすぐに母親を亡くし、父親も仕事で神戸へ。母親代わりのちよさんと知江美さん、2人の生活だった。
高校を卒業後、就職で淡路島を離れたが、盆や正月にちよさんの元へ帰省した。24歳で結婚し、京都へ。ちよさんは、結婚式も遼さんが生まれた直後も淡路島から駆け付けてくれた。その後、夜泣きに悩まされた知江美さんは、ちよさんを頼って実家で過ごすことも考えたが、95年の年明けから治まり、戻らなかった。そして、あの日を迎えた。
京都も大きく揺れ、飛び起きた知江美さん。淡路島が震源と聞いたが、ちよさんへの電話はつながらなかった。親類から「実家がまるつぶれ」と聞かされたが、その後は連絡が取れなくなった。ちよさんの安否も分からないまま、生まれたての赤ん坊を抱え、どうすることもできなかった。
約3カ月後、知江美さんは、淡路島の親類宅で骨つぼに入ったちよさんと対面した。「実感が湧かなかった。写真の中のおばあちゃんしか分からなくて」
現在は夫通利さん(51)とともに徳島県牟岐町と海陽町で和洋菓子店を開き、忙しく過ごす。当時0歳だった遼さんも25歳になり、東京で仕事に励む。
「おばあちゃんが身代わりになって、生かしてくれた。おばあちゃんの分も頑張るからね」
震災25年、知江美さんはちよさんに語り掛けた。