生かされた命、精いっぱい生きる 阪神高速で被災した男性
2020/01/17 12:14
高速道路で体験した阪神・淡路大震災の揺れを振り返る高坂勝巳さん=小野市内
兵庫県小野市の団体職員高坂勝巳さん(66)は阪神・淡路大震災の時、仕事で関西国際空港に向かう途中、神戸市東灘区の阪神高速湾岸線で激しい揺れに見舞われた。阪神高速では神戸線が635メートルにわたり倒壊し、湾岸線を含む計5カ所で落橋。ドライバーら16人が亡くなった。橋が落ちる直前に湾岸線を走った高坂さんは「生かされた命。精いっぱい頑張ろうと誓った」と振り返る。きょう17日は震災から25年-。
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当時、小野市本町の旅行会社で営業マンをしていた高坂さん。あの日は香港を訪れる獣医師25人に同行するため、同市の自宅を午前4時半ごろに出た。神戸の六甲アイランド北から湾岸線をしばらく走った辺りで異変が起きた。暗闇の中、東の空が真っ白に光る。路面を照らしていたオレンジ色の街灯が次々と消え、激しい揺れに襲われた。
目の前の道路が「あめのように曲がっていた」。その光景が信じられず「体調が悪くなったのか」と思った。余震で揺れる高速道路で、左右に車体を揺すられながら辛うじてハンドルを握り関空にたどり着いた。
顧客から携帯電話で「西宮港大橋が落ちたので行けない」と連絡があった。その橋はさっき通ったばかり。当然、ツアーは中止になった。車で大阪方面へ向かい梅田で1泊。その後北へ遠回りし、自宅に戻ったのは18日夜だった。連絡が取れず心配していた妻純子さん(62)は「よく帰って来られたね」と涙ぐんだ。
JR神戸線が西方面から兵庫駅までの運行を再開した後、家族4人で兵庫駅から三ノ宮駅までを歩いた。焼けた長田の街並みや橋脚が落ちたポートライナー、全壊したビルを目に焼き付けた。心が痛んだが「普段の生活がいかに恵まれているかを子どもたちに知ってほしかった」という。
50歳で白雲谷温泉ゆぴか(小野市黍田町)の支配人に転職。年間約34万人を集める施設で多忙な日々を送る。「震災で日常が当たり前ではないことを知った。あの記憶を風化させないことが大事」。17日は神戸の東遊園地を訪れ、犠牲者の冥福を祈る。(笠原次郎)