息子奪った街、ずっと嫌いでした… 小豆島の夫妻が来神し追悼
2020/01/17 22:28
亡くなった長男秀彰さんの銘板を確認する三枝さん夫妻=18日午前5時24分、神戸市中央区、東遊園地
「息子を奪った神戸が、ずっと嫌いでした」
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船や電車を乗り継いで約3時間。香川県の小豆島に暮らす三枝秀樹さん(74)、宣子さん(72)夫妻は毎年、東遊園地を訪れてきた。この街で、甲南大学2年だった長男秀彰さん=当時(20)=を失った。
自慢の息子だった。小学生の頃、旅行に出掛ける祖父母に、自分のお小遣い500円をこっそり渡した。
「お母さん、やったよ」
甲南大の合格通知が届いた日。秀彰さんの弾んだ声を覚えている。昔から神戸に憧れていたという。
最後に会ったのは、1月15日に島で開かれた成人式。秀彰さんは昼すぎの船で神戸に戻った。「お父さんも夜に食事するの楽しみにしてたのに」と寂しがる母に、「寒いから、もう見送らなくていいよ」と笑顔を見せた。
翌16日の夜、電話がかかってきた。成人式のお祝いをかばんに入れていたお礼。「ありがとう」。最後の言葉も息子らしかった。
地震のニュースを知って2人で飛び乗った神戸行きの船は、港の被災で島へ引き返すことに。秀彰さんの訃報を知ったのは、その船上だった。大阪行きの船に乗り換え、遺体と対面したのは真夜中すぎ。何度名前を叫んでも、目を開けてくれなかった。
市や大学の追悼行事など神戸を訪れる機会が増えた。そのたびに突きつけられる息子の死。「そもそも神戸行きを反対していれば」。後悔は募る一方で、足取りは重くなった。
心境に変化が出てきたのは、10年以上たってから。復興が進む街を見て、やり場のない憎しみが愛着へと変わっていった。
生きていたら45歳。「もうおっさんだな」「大きい孫もいたかもね」。この日も銘板をなでながら、2人で目を細めた。
神戸は、息子が最期のときを生きた街。嫌いになれるはずはない。(末永陽子)