(2)記憶 地元で手を合わせたい
2019/10/23 09:07
今年の1.17を思い出す大町さん(右から2人目)と本田さん(中央)ら=中野北公園(撮影・秋山亮太)
今年の1月17日も、阪神・淡路大震災の被災地は、いてつく朝を迎えた。
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激震地の神戸市東灘区本山中町。2丁目の中野北公園にある慰霊碑には1~3丁目の犠牲者75人の名前が刻まれている。
公園でのラジオ体操は、この日もあった。4丁目で薬店を営む大町真由美さん(72)が参加するようになって9カ月。帰り道、ユリやキクが手向けられた碑に手を合わせた。
「4丁目の人が碑にないのはかわいそう」。ラジオ体操仲間に言われた。
「みんな前から気にしてるんや」。大町さんにつらい記憶がよみがえった。
あの日、午前5時46分。目覚まし時計が鳴る直前、激しい揺れに襲われた。
窓をこじ開けると、がれきで道はふさがっていた。薬店兼自宅のある本山センター街は、上から踏みにじられたようなつぶれ方。ぼうぜんとした。
付き合いのある医院に向かった。次々と運ばれてくるけが人。重傷者を救急病院に振り分ける手伝いをした。ぐったりした若い女性を抱きかかえた。医師は首を振ったが、体はまだ温かい。搬送したものの亡くなった、と後で聞いた。
夕方、親族宅に身を寄せることにした。センター街を南へ下ると、「小路(しょうじ)書房」が崩れ落ちていた。
「お母さんが中に…」。店の娘が言う。10歳ほど年上の明るい人で、世間話をする間柄だった。
がれきの中から声はなく、家族も近所の人も立ち尽くしていた。心の中で手を合わせ、その場を離れた。
「あのときを思い出すたびに、申し訳なく思う」
◇ ◇
今年1月17日に公園で交わした会話は、大町さんの胸にずっと刺さっていた。
4丁目内の国道2号沿いに、地域を見守る「国道地蔵尊」がある。震災で倒れたが3年後に再建した。
2月10日。地蔵尊奉賛会が毎月行う清掃日に、会長の大町さんは思い切って言った。「4丁目の碑をここに建てられないか」
すぐに「私もずっと思ってた」と、うれしい反応があった。「立派なもんでなくてもええやん」。本田吉久さん(79)が後を押した。3丁目の小路市場で家業の八百屋を失い、1月17日は毎年、中野北公園の慰霊碑で冥福を祈ってきた。
2週間後には総会で、寄付を募ることなどが決まった。「震災の起きた平成のうちに造りたい」。4月中の完成を目指す中、ひとつ悩みがあった。
それは、碑に刻むべき犠牲者の数だった。