(3)供養 胸のつかえが取れた
2019/10/24 11:20
震災で倒壊した保久良市場を撮影したアルバム。一瞬で日常の暮らしが奪われた(中村勝さん提供)
6434人の命を奪った阪神・淡路大震災。神戸市東灘区は、市内で最も多い1470人が亡くなった。
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慰霊碑のなかった本山中町4丁目。今春、「国道地蔵尊」の一角に碑を建てるにあたり、地蔵尊奉賛会長の大町真由美さん(72)らは改めて、街全体の被害を知らないことに気付いた。
まずは知り合いから名前を挙げていったが、慰霊碑建立の中心は旧保久良(ほくら)市場や本山センター街の住民。付き合いはその周辺に限られ、たちまち行き詰まった。
「震災を思い出したくない人もいる。やみくもに亡くなった人がいないか聞くこともできなかった」
思いあぐねた大町さんらは神戸新聞に連絡をした。慰霊碑を建てること。遺族を探していること。4月18日に記事が載ると、すぐに訪ねてきた人があった。
三野(みつの)勝さん(76)。4丁目でも国道沿いの西端、長屋の一軒で、長男伸也さん=当時(22)=と父定一さん=同(89)=を失った。
パラパラ、と音がした。2階の寝室で、屋根土が落ちてきたと思った瞬間、突き上げられるような揺れを感じ、とっさに隣の次男に覆いかぶさった。
「のぶやー、大丈夫か」。長男からの返事はなく、隣家から押し寄せた壁とタンスの下敷きになっていた。国道を通る自動車に頼み込み病院へ連れて行ったが、息絶えていた。1階で生き埋めになった定一さんも入院先で3月に亡くなった。
9月、自宅の跡地は水道工事業の仕事場として残したまま、神戸市北区に引っ越した。毎年1月17日は神戸・三宮の「慰霊と復興のモニュメント」を訪れるが、「なんでうちらの街には慰霊碑がないんか。どこに行ったらええんや」と思い続けてきた。
それだけに、記事を見ると居ても立ってもいられなかった。近隣の犠牲者についても知る限りを伝えた。
◇ ◇
たどり着いたのは11人。名前を碑に刻むのが難しいことは分かっていた。
神戸市に問い合わせたが「個人情報保護の問題がある」と告げられた。せめて犠牲者の数だけでもとやりとりを重ね、「23人」という回答を引き出した。
今年4月21日、除幕式。町内の掲示板や新聞を見て訪れた40人余りが手を合わせた。大町さんらは「胸のつかえが取れた気がする」と喜び合った。
参列した遺族の中に懐かしい顔があった。保久良市場で母親を亡くした加藤文子さん(61)。震災以来、この街に足を向けることを避けてきた。