【9ー2】生活再建支援法 国の「壁」破り個人補償へ
2019/12/28 10:22
法案提出後に参院議員会館の報告集会で話す小田実さん(手前右から2人目)=1997年5月20日、東京・永田町
被災者救済の重い扉をこじ開けたのは、阪神・淡路大震災の被災地の叫びだった。打ちのめされた被災者の背中を押す制度をつくり上げよう-。そこには市民や政治家、そして専門家それぞれの闘いがあった。
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1996年5月、兵庫県芦屋市の文化拠点「山村サロン」=2016年閉館。「政府は何もせぇへん。市民で公的支援の法律をつくり、成立させるんや」。西宮市の自宅で被災した作家の小田実(まこと)=07年死去=は、サロンオーナーの山村雅治(67)と弁護士の伊賀興一(おきかず)(71)、神戸大名誉教授の早川和男=18年死去=とともに「生活再建援助法案」を約2時間で起草した。全壊世帯500万円、半壊250万円の一律支給を掲げた。
9月には「市民=議員立法実現推進本部」が発足。「公的援助法」実現ネットワーク被災者支援センター代表の中島絢子(79)は被災者を伴って東京と被災地を行き来し、街頭活動や集会に明け暮れる。
神戸市兵庫区中道通で被災。「被災者の困難を国会に届けないといけない」。共感は広がり、連立与党だった社民党党首の衆院議員土井たか子=14年死去=や兵庫県選出で民主改革連合の参院議員本岡昭次=17年死去=も立法化で手を携える。
97年1月、小田は芦屋市内の集会で「おとぎ話が児童文学になり、ノンフィクションになろうとしている」と熱っぽく語った。
政治を変えなければ、被災者は前に進めない。兵庫県企画部長や知事公室長を務め、後に理事となった和久克明(80)もその一心だった。
助け合える制度を-。和久は強制保険による地震共済保険制度を発案、95年10月に公表した。だが、地震保険制度を担う損害保険業界や大蔵省(現財務省)の反発が強く、方針転換を余儀なくされる。
「住宅への公的支援を訴えるだけではだめだ」。被災者の生活再建を前面に、全壊世帯最大100万円、半壊世帯最大50万円を支給する案を97年1月に打ち出す。
潮目が変わったのは翌2月。国土庁(現国土交通省)長官の伊藤公介が「共済制度は課題が多く、時間がかかる。まず生活再建制度を実現しましょう」と持ち掛けてきた。初めて政府内の前向きな姿勢に接する。
都道府県を訪ね歩いて生活再建支援案への理解を求めた。全国知事会は7月、兵庫県案をもとにした制度創設を全会一致で決議。自民党地震保険共済等小委員会(委員長・柿沢弘治衆院議員=故人)は、知事会決議をたたき台に「被災者生活再建支援法案」素案を策定する。98年1月22日、和久は東京・永田町の議員会館で自民党幹事長代理の野中広務(故人)から1枚のメモを手渡される。水面下の調整で政府側と合意した法案内容が記載されていた。
年収制限などは思うような内容とは言えず、複雑な心境だった。帰り道、法案策定に関わった柿沢から和久に電話が入り、こう告げられる。「小さく生んで、大きく育てよう」
社民党衆院議員だった宝塚市長の中川智子(72)は与野党間の調整に奔走する。ボランティア経験から「被災者を見捨てる国であってはならない」と政界入り。「阪神・淡路の犠牲を無駄にしてはいけない」。衆院で可決した日、他党の議員らと握手を交わし、被災地に報いる喜びを分かち合った。
「住宅はまちの一部だ」。99年1月に国土庁に設置された「被災者の住宅再建支援のあり方に関する検討委員会」(委員長・広井脩東大大学院教授=故人)。当時は神戸大教授で委員を務めた兵庫県立大大学院減災復興政策研究科長の室崎益輝(よしてる)(75)が強く訴えた。
被災者生活再建支援法成立後も、私有財産の住宅に公的支援はできないという国の論理は生きており、住宅本体への支給を阻んでいた。室崎は「住宅再建が早く進めば、コミュニティーも早く再生できる。必ず公共性を認めさせる」と息巻いて臨んだ。約2年にわたる議論は鋭く対立した。国側の意見を代弁する専門家は「焼け太りはモラルハザードを起こす」「制度として私有財産への支援はできない」と反対。室崎も「自立できない被災者の保護は行政の責務だ」と譲らなかった。
広井も室崎を援護射撃した。強く反発する委員はいたが、2000年10月の鳥取県西部地震で知事だった片山善博が住宅再建に最大300万円の支給を公表したことが流れを変える。事務局の国側担当者は「実態として住宅の公共性を認めている」との現状認識を示し始める。
2カ月後に公表された最終報告書には「住宅単体は個人資産だが、自然災害時には地域にとって公共性を有する」と明記された。
04年の法改正では従来の最大100万円に加え、解体撤去費用や整地費などに最大200万円を支給する「居住安定支援制度」が創設され、支援総額は最大300万円まで増えた。だが、あくまでも住宅本体への支給は認めていなかった。
「支援は被災者にとって恩恵ではなく、憲法に基づく正当な権利だ」
07年、2度目の大改正を視野に日弁連災害復興支援委員会委員長で兵庫県震災復興研究センター共同代表の津久井進(50)は、住宅本体への支給を集会で訴え、国会議員に説いて回った。憲法が規定する生存権や財産権を保障するのが国の責務とし、制度改正を求める。
与党・公明党で法改正の立案に携わった国土交通相の赤羽一嘉(61)=衆院兵庫2区=は、支援金を災害で職も収入も失う被災者への「見舞金」と見なすことを提案。年収・年齢制限の撤廃と、使途を問わないことを財務省にのませた。07年10月、与野党が支援法の再改正に合意。最大300万円の支援金は、住宅本体への支給が実質的に可能となった。
課題はなお残る。支給対象世帯は「全壊」と「大規模半壊」に限られ、「半壊」以下は対象外。支援の枠組みからこぼれ落ちる被災者をいかになくすか。新たな支援の形を模索する動きが兵庫から始まっている。
津久井も加わる関西学院大災害復興制度研究所(西宮市)は今年8月、災害の備えから生活再建まで切れ目なく被災者を支援する「被災者総合支援法」要綱案を公表した。支援法以外にも、災害救助法や災害弔慰金法などにある被災者支援制度を一本化。災害関連死の防止規定を盛り込み、「被災者一人一人の復興」に力点を置く内容だ。
住宅再建を巡っては、最大600万円への増額をうたい、支給対象も緩和する。要綱案づくりを担った関西大教授の山崎栄一(48)は「被災者の声を聞き取れる仕組みをつくり、誰一人見捨てない制度が必要だ」。思い描くのは、未来の被災者を救済する理想形だ。=敬称略=
(金 旻革、竹本拓也)