震災遺族が自ら語る重み伝えた白木さん 目標だった銘板に

2020/12/20 07:00

岩手県陸前高田市に分灯するため、ポートタワー型のランタンを持つ白木利周さん=2011年12月、神戸・東遊園地(堀内正美さん提供)

 「遺族が自ら語り、伝える重みを教えてくれた」。神戸・東遊園地の「慰霊と復興のモニュメント」に19日、4月に78歳で亡くなった白木利周(としひろ)さんの名前が加わった。NPO法人「阪神淡路大震災1・17希望の灯(あか)り(HANDS)」初代理事長。長男を震災で失い、教訓を伝えることや被災地間の交流を何よりも大切にしていた。 関連ニュース 「一緒に先生になろうね」亡き親友と14年前に誓った夢は目標になった 自分は被災者なのか-葛藤も胸に経験語る21歳教育大生 言葉の壁、外国人は災害弱者「誰もが困らない仕組み構築を」 通訳申し出たがたらい回し経験したボランティア 地方女子の問題を可視化、原発避難者の人権訴える 兵庫ゆかりの2人に「女性リーダー」賞


 「名前が張られて良かったね」
 白木さんの長女かおりさん(44)は地下の「瞑想(めいそう)空間」に銘板を取り付け、目に涙をためた。
 モニュメントには長男健介さん=当時(21)=と、共に活動し2001年に亡くなった妻朋子さん=同(58)=の名前がある。かおりさんは「ここに名を残すことは父の目標だった」と振り返る。息子と妻がいる空間に自分も一緒にいたい-。そんなことを口にしていたという。
 1995年1月17日、神戸市東灘区御影郡家にあった白木さんの自宅は全壊。大学生だった健介さんが犠牲になった。日中は郵便局で働き、夜間は神戸大で勉学に励んでいた。寝室の枕元には、合格を目指していた司法書士試験の教材テープが散らばっていた。
 白木さんにとっての転機は震災4年の99年。HANDS発起人で神戸市在住の俳優、堀内正美さん(70)との出会いだった。
 堀内さんは当時、各地の慰霊碑を地図に記した「モニュメントマップ」作りに取り組んでいた。同年1月17日、神戸大でマップを配っていると、追悼慰霊式に参列していた白木さん夫婦から突然「ありがとう」と声を掛けられた。白木さんはマップを見て、震災で命を落とした人々が息子以外にも多くいることに気付かされた、と話していた。
 白木さんは、堀内さんと活動を共にするようになった。慰霊碑を訪ねる「交流ウオーク」の運営に携わり、自宅跡でつらい体験を明かすことも。「白木さんの影響で、おやじ世代が次々と震災体験を語り始めた」と堀内さん。
 2000年の北海道・有珠山噴火を皮切りに、新潟県中越地震などの被災地を訪れ、住民に義援金を手渡した。東日本大震災では東北の被災地に「希望の灯り」をモデルとしたガス灯の建立にも尽力。息子を亡くして20年余、同じ痛みを知る人たちに心を寄せ続けた。
 かおりさんが瞑想空間を訪れるのは今回が2回目。05年、利周さんに連れられて来たが、つらくてずっと足が向かなかった。「これからは父の代わりに来てあげたい」。家族3人の名前を見つめた。(竹本拓也、金 旻革)

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