「今を頑張る」友の形見のドレスに誓う 今年も東遊園地へ

2021/01/13 10:47

有明結香さんが着ていたドレスを見つめる高松寿賀子さん=加古川市

 阪神・淡路大震災で親友を亡くした会社員高松寿賀子さん(53)=兵庫県加古川市=は、震災発生から26年の今年も1月17日、その名が刻まれた「慰霊と復興のモニュメント」(神戸市中央区)に足を運ぶ。幼なじみで、ともに同じ病気で足が不自由。自分たちの体のことや恋愛について悩みを共有する関係は、大人になっても変わらなかった。2人の思い出があふれる神戸で銘板をなぞれば、親友が生きた証しを感じられるような気がする。 関連ニュース シリカ工場悪臭訴訟、契約解除求めた多可町の訴え棄却 「臭気対策の前提となる合意欠く」 地裁支部 里山にかれんな「春の妖精」 アズマイチゲやセリバオウレン 丹波篠山の自生地で開花 行ってあげてほしい

 親友は有明結香さん=当時(28)。赤ちゃんの頃、地元・神戸市東灘区の公園で母親同士が知り合った。家が近所で、「先天性股関節脱臼」という病気による通院先も同じ。物心ついた時から一緒に遊んでいた。
 足の悩みや好きな人のことをつづった手紙の交換が日課。高松さんは「学校でも友達ができたけど、足に障害があるという共通点が絆を深めた」と振り返る。
 「この足で結婚できるんやろか」と2人でいつも悩んでいたが、高松さんは1991年に結婚。有明さんは自分のことのように喜び、結婚式には薄い紫色のドレスで駆け付け、友人代表のスピーチもしてくれた。
 有明さんからの最後の手紙は、95年1月4日の消印。気になる男性と初詣に行ったこと、その男性に自身の障害を受け入れてもらえたことへの喜びがあふれていた。終盤には「今年はきっといいことありそうな予感がしています!」と記されていた。
 それから2週間もたたずに、有明さんは倒壊した自宅アパートの下敷きになり、父母と一緒に命を落とした。
 加古川市で暮らし、長女がおなかにいた高松さんは、有明さんの自宅や近くの避難所十数カ所に何度も電話したが、見つからなかった。数日後、新聞に掲載された犠牲者の名簿に有明さん一家の名前を見つけた。
 「『なんでそんなところに名前があるのよ』と叫んだ。すぐに神戸に行きたかったけど、動けない。泣きながら東に向かって手を合わせるしかなかった」と悔しさをにじませる。
 がれきの中からは、高松さんの結婚式で着た薄紫色のドレスとスピーチ原稿が奇跡的に無傷で見つかり、譲り受けた。「年を取っても一緒にお茶をしたり、家族同士で旅行をしたりできると思っていた。このドレスを見ると、しっかり生きなきゃと思う」
 震災犠牲者の名を刻むモニュメントには、ほぼ毎年1月17日、長女と共に訪れる。今年は「人生の折り返しが過ぎた。いつか天国でまた会って、たくさん話せる日を夢見て、今の日々を頑張る」と誓うつもりだ。(門田晋一)

神戸新聞NEXTへ
神戸新聞NEXTへ