「孫の後ろ姿忘れられず」 震災26年、亡き人を思う

2021/01/17 19:21

初めて設けられた紙灯籠。「ずっと」「忘れない」の言葉がろうそくの柔らかな明かりで浮かび上がった=17日午前6時28分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・秋山亮太)

 6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神・淡路大震災は17日、発生から26年を迎えた。新型コロナウイルス禍で一部の行事が中止や縮小を余儀なくされる中、神戸市中央区の東遊園地での「1・17のつどい」では今年も鎮魂の火が、亡き人を思い祈る人々を優しく照らした。「がんばろう 1・17」。被災地の各地でも感染防止に配慮しつつ、追悼の場が営まれた。 関連ニュース 「1・17」五感で見つめ直す 視覚以外「音、匂い…」テーマに体験聞き取り 関学大生の活動記録書籍化 「災害を自分事に」鷹取中生が語り継ぐ1・17 学校が避難所だった記憶を小学生へ 震災29年目の挑戦 「1・17のつどい」阪神・淡路大震災30年の2025年にタイムカプセル収納、メッセージや写真募る 神戸

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 娘婿の松下章さん=当時(22)、孫の良太ちゃん=同(2)、健太ちゃん=同(11カ月)=を亡くした伝法クニ子さん(74)=兵庫県淡路市(淡路市の北淡震災記念公園で) 震災前日の夜、夫と一緒に孫をお風呂に入れたんです。帰り際に「またおいでよ」と声を掛けてそれっきり。帰って行く後ろ姿が忘れられません。夫は5年前に亡くなりましたが、毎朝この公園で慰霊碑に手を合わせていました。今年は追悼式典に参加しないことも考えたけれど、3人や夫を思い出すと訪れずにはいられませんでした。今頃天国で一緒に過ごしてるかな。
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 次女の淑子さん=当時(16)=を亡くした田中幸子さん(70)=神戸市東灘区(同区の魚崎わかばサロンで)
 今でも娘が横におるような感じがして。ひょうきんで、ピアノを弾くのが好きな子。亡くなった後、娘の中学時代の卒業記念ビデオが見つかった。「10年後の自分はどうなっている?」と問われた娘が「なるようになる」と答える姿に、久々に笑って。それまでは写真を見る気力もなかったけれど。今では、娘がほほ笑む写真をピアノの上に飾っている。娘には元気に天国に上がってほしいから、こっちも元気でいないとね。
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妻の幸恵さん=当時(34)=と長女愛梨ちゃん=当時(5)=を亡くした羽中健二さん(58)=神戸市兵庫区(西宮市奥畑の西宮震災記念碑公園で)
 自宅の2階にいる時に地震が来た。つぶれた1階から1歳の長男の声が聞こえ、がれきをどけたら、妻が娘と息子を両手で抱きかかえて守ってた。
 「次に進んで」とか「乗り越えて」とか言われるけど、自分の半分は震災の時で止まってて、それでいい。娘が好きだったセーラームーンとコラボしてるコーヒーを碑の前に供えた。今日、来る途中に偶然見つけて。娘に「買ってきて」と言われてる気がした。
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亡くなった米津漢之君=当時(7)=の担任だった岩佐さよ子さん(68)=芦屋市(同市の精道小学校で)
 優しくて、まじめで、少し恥ずかしがり屋のくにちゃん。26年たっても、声や表情を思い出して涙が出るよ。震災前日に家族と作ったカレーライスを「あした、たべるのがたのしみです」と「あのね帳」に書いていたね。明日があるとは限らない、一日一日を大切に生きなければいけないと、その命をもって教えてくれました。天国から見守ってくれていたおかげで、今年も元気で会いに来られたよ。またね。
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母の奈津子さん=当時(50)=を亡くした衣川康子さん(50)=堺市西区(神戸市中央区の東遊園地で)
 JR摂津本山駅近くの実家は地震で全壊。両親のいた1階がつぶれ、父は近所の人に助けてもらったけど、母は4日もかかった。
 あの時の母と同じ50歳になった。早いなあ。生きてたら相談もしたかった。
 母は眼科医で、父は脳外科医。私もいつの間にか薬剤師になっていた。実は長男朝柊(19)が薬学部生で、小6の長女希叶(12)も最近、医師になりたいって。やっぱり両親の影響かな、うれしかったよ。

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