亡き祖母の祈り「引き継ぐ」 震災26年

2021/01/18 07:00

周辺で犠牲になった人数と同じ105本のろうそくが並ぶ慰霊碑の前で、思いを語る嵯峨奈津美さん=17日午前6時4分、神戸市長田区若松町

 6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神・淡路大震災は17日、発生から26年を迎えた。 関連ニュース 「1・17」五感で見つめ直す 視覚以外「音、匂い…」テーマに体験聞き取り 関学大生の活動記録書籍化 「災害を自分事に」鷹取中生が語り継ぐ1・17 学校が避難所だった記憶を小学生へ 震災29年目の挑戦 「1・17のつどい」阪神・淡路大震災30年の2025年にタイムカプセル収納、メッセージや写真募る 神戸

    ◇
■大学生嵯峨奈津美さん=神戸・長田区
 「昨年亡くなったおばあちゃんの代わりに、初めて朝の追悼行事に参加しました」。午前5時46分、神戸市長田区若松町の若松鷹取公園で、神戸学院大4年の嵯峨奈津美さん(23)=同区=が手を合わせた。区内で自宅の下敷きになった祖母は当時をあまり語らなかったが、毎年「1・17」には早朝の祈りを欠かさなかった。暗さ、寒さ、静けさを肌で感じ、「当時の祖母の気持ちが少しだけ分かった気がする。引き継ぎたい」と涙をぬぐった。
 母方の祖母、多田千代子さんは87歳だった昨年2月、病気で他界した。震災では同区御屋敷通2にあった自宅が全壊し、天井の下敷きに。同居する息子に助け出されたが、その経験からちょっとした揺れにもおびえるようになったという。
 兵庫県香美町出身の嵯峨さんは、大学進学を機に神戸へ。「いつでもすぐに様子が見られるように」と、祖母宅から徒歩10分ほどのアパートを選んだ。
 これまで母と兄を交え、4人で東遊園地の銘板を見に行ったこともあるが、祖母は震災についてほとんど話さなかった。一方母は震災について積極的に教えてくれた。「神戸は母の出身地。義務だと思ったのだろう」
 自身は大学のボランティア団体に所属し、熊本地震や西日本豪雨の被災地で汗を流した。これまで「1・17」の午前5時46分に祈る機会はなかったが、毎年参加していた祖母の姿を思い、代わりに行こうと思い立ったという。
 同世代には、震災時に生まれていなかったことを負い目に感じ、震災を語ることを遠慮する人もいるというが、「それは違うと思う。勉強して知る努力をすればいい。おばあちゃんの思いをつなげたい」と数珠を握りしめた。(堀内達成)
【特集ページ】阪神・淡路大震災

神戸新聞NEXTへ
神戸新聞NEXTへ