山が歩んだ海への道 「須磨ベルトコンベヤ跡地」をたどる
2019/06/27 05:30
稼働時の須磨ベルトコンベヤ(アーカイブ写真館提供)
JR須磨駅(神戸市須磨区)を降り、須磨海岸を西に歩くこと約10分。ハマヒルガオが咲く初夏の砂浜に、ぽつんと残る一基の案内板を見つけた。「須磨ベルトコンベヤ跡地」。海から山にかけて撮影された古い航空写真の上にこう記される。「山、海へ行く」。山を削って、海を埋め立てる神戸市の開発行政について、中高生時代、授業で習った記憶がわずかによみがえる。「今はどうなっているのだろう」。約5億8千万トンもの土砂が運搬船に積み込まれたこの海岸を起点に山へ向かった。(喜田美咲)
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一ノ谷川に沿って北へ。坂を歩くこと10分。一の谷グリーンハイツ(須磨区一ノ谷町1)の案内看板に「神戸市開発局ベルトコンベアー」の表記を見つけた。橋桁や作業所があった辺りはフェンスが設けられ、立ち入れなくなっている。
「川のカーブに沿うように建設されていた。コンベヤー部分が全面覆われていたので騒音も気にならなかった」。ハイツに住む男性(62)は、写真を見ながら当時を振り返り、「神戸の発展がここから始まっている。ベルトコンベヤーを見るたびにそう思った」と目を細める。
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市都市局の平岡呂晃課長(47)によると、55年前に始まった事業では、高倉山(同区)などで削った土砂をベルトコンベヤーで運び、同海岸の須磨桟橋から船で運搬していたという。標高約290メートルあった高倉山は次々と土が削り取られ、整備後は平らな地に宅地開発が進んだ。
事業とともに「高倉山」の名は消えたが、今も名残として親しまれているのが、高倉台団地にある標高約200メートルの小高い丘だ。住民による反対運動の末、この丘を残したことから「おらが(私たちの)山」と呼ばれるようになった。
その山頂からの景色を見渡す。ベルトコンベヤーは当時、トラックに替わる環境に優しい運搬方法として注目され、アップダウンの激しい道のりを、直線距離で土を運ぶ“画期的”な施設だった。
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横尾から名谷団地へ。須磨消防署北須磨出張所前付近で足を止める。「道路が斜め?」。さらに、市営地下鉄の先にある集合住宅(同区西落合6)に目をやると「建物の向きがほかとは少し違う」。
実はベルトコンベヤーを避けるように住宅の向きを変えたという。斜めの道路はその地上部分だ。平岡さんは「ベルトコンベヤーのルートは、建物を避け、道路か公園の地中につくられました」と説明する。
同市西区に、稼働当時のベルトコンベヤーを見学できる場所があるという。須磨からちょっと足を伸ばして、その場所へ向かった。
【須磨ベルトコンベヤ】1964年~2005年に稼働した土砂運搬施設。須磨海岸から神戸複合産業団地(西区見津が丘6付近)の南北を結び、総延長は約14・5キロ。ポートアイランド(中央区、81年)、六甲アイランド(東灘区、88年)、神戸空港(中央区、06年開港)が建設された。