15年連続「一番福」 西宮神社で驚異的記録を残した伝説の男
2022/01/09 12:00
激しい先頭争いが繰り広げられる福男選び(2008年)
商売の神様えべっさんの総本社・西宮神社(兵庫県西宮市社家町)で1月10日恒例の「福男選び」。今年は新型コロナウイルスの影響で2年連続の中止となったが、これを機会に改めて歴史を調べると、なんと15年連続で「一番福」になるという驚異的な記録を残す人物がいた。一体、どれだけ足が速いのか。取材を進めると、福男選びの礎を築いたともいえる生涯が見えてきた。(村上貴浩)
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■「初代の福男」毎日参拝、厚い信仰心
福男選びの起源は定かではないが、開門を待ってお参りする習わしが競争に発展したといわれる。毎年午前6時、多い時で6千人の参拝者が集まり、表大門の開門とともに境内に飛び込んで約230メートルを走り、本殿へ先着した順に一番福、二番福、三番福が認定される。
神社に残る福男の記録は1921(大正10)年から。その年を含めて35(昭和10)年まで、少なくとも15年間連続で福男として一番乗りを続けた人物とは。
-田中太一さん。
福男選びについて研究している明石工業高等専門学校(同県明石市)の荒川裕紀准教授(44)は「過去の神戸新聞の記事を調べていると田中さんの名前が大量に出てきた。『こんな人がいるのか、知りたい』と思った」と話す。
荒川准教授が2019年にまとめた論文によると、福男選びが新聞で取り上げられるようになったのは37(昭和12)年ごろ。田中さんは神社の記録がない時代にもさかのぼると15年連続どころかもっと連覇している可能性もあるが、記録がないことから複数の新聞社が「初代の福男」として扱うようになったらしい。
◇ ◇
田中さんは1901(明治34)年、今の同県丹波篠山市に生まれた。地元の高等小学校を卒業後、西宮の旧家「千足家」が営む材木店に就職した。
かなりの健脚で知られ、西宮神社の参道清掃を毎日続けるなど、信仰心も厚かったようだ。後日、新聞社の取材に本人はこう答えている。
「えべっさんとは、よほど因縁があるのですやろ」
「毎朝のお参りを欠かしたことはおません」
では、なぜ連覇の記録は15で止まったのだろうか。
1936(昭和11)年の福男選びについて新聞記事は「家事の都合」と記し、実は病気で不参加だったようだ。翌37年に再び参加すると、38年と続けて2連覇を達成。それが39年、連勝記録はついに止まる。
当時37歳。新聞記事は先頭集団の激しいデッドヒートを興奮気味に記す。
「韋駄天走りの十数名のうちさすがは田中さんだ、トップを切って進んだ」
しかし、後半になって失速してしまう。代わって先頭に立ったのが、田中さんの友人として一緒に参加した20代の兄弟2人だった。
「(田中さんの)覇権を(われわれの)他に渡してなるものか」-。そう意地を見せた弟の多司馬玖一さんが1番、兄の多司馬園之助さんが2番、田中さんが3番になった。
コメントを求められた田中さんは「仲間のものが一番乗り出来てこんなに結構なことはありません」とすがすがしく答えている。
それまでは一番乗りが福男とされてきたが、この時の勝負に世間が感動し、三番福までを認定するようになったといわれている。
◇ ◇
西宮神社によると、当時の参加者は多くて200人程度だったといい、今ほどに競争率は高くなかった。さらに出走場所をくじ引きで決める今と違って、早く来た人から順に門に近い場所を取っていたため、努力次第で勝負を有利にできたという。それにしても15連覇は並大抵の脚力では成し遂げられず、努力と運もあってこその成果とされる。
田中さんは福男選びに参加しなくなってからも、神社の氏子青年会に積極的に関わり、桜の植樹活動にも励んできた。1991(平成3)年8月に90年の生涯を閉じたが、境内に植えた桜は今も春に咲き誇る。
荒川准教授が言った。
「田中さんはえべっさんに愛された男。365日欠かさずお参りと掃除をし、地域に認められ、愛されていたからこそ、選ばれ続けたんです」
開門からの約20秒にさまざまなドラマが凝縮されている「福男選び」。その原点には、田中太一さんの人生があった。
■15連覇を境に競争激化、けが人続出で中止の年も
福男選びは江戸時代から、いち早くお参りしようとする人々の気持ちが高じて、走って神社に向かうようになったことが始まりとされる。それが田中太一さんの15連覇を境に、競争は激化するようになった。
太平洋戦争の終戦直後から数年間は空襲被害などで中止された。その後再開したが、1951(昭和26)年には全国各地のイベントでけが人が続出した余波を受け、警察の指導によって再び中止されてしまう。60(昭和35)年には参拝者の熱気があまりに高まり、5分早く開門してしまうという出来事もあったという。
2004年には、数人の消防士が1人を勝たせるために壁のように立ちふさがり、他の参拝者を妨害したことが問題となった。以降は神社側が混乱を防ぐため、事前のくじ引きで待機場所を決めるようになり、同じ人物が一番福になり続けることは難しくなった。
ただ、くじ引き制が導入されてからも1人だけ連覇をしている。元高校球児で甲子園出場経験もある粂良太さん。20代で06、07年に一番福になった後は出なくなり、その理由を「福男になったが仕事で怒られっぱなし。2回も勝てたのでもう十分」と話していたという。(村上貴浩)