戻った自宅が崩落、下敷きに「いつも笑顔のおばあちゃん」今も心の支えに 震災27年

2022/01/17 20:18

「子どもたちは健康に生きてほしい」と話す浜田優子さん=西宮市奥畑、西宮震災記念碑公園(撮影・長嶺麻子)

 記憶の中のおばあちゃんは、いつもほほ笑んでいる。兵庫県西宮市の浜田優子さん(65)にとって「夫の祖母」に当たる仲代さん=当時(88)=は阪神・淡路大震災の直前、ひ孫の誕生を楽しみにしていた。震災の約4カ月後に産声を上げた次女も、もうすぐ27歳。17日は西宮市の西宮震災記念碑公園を訪れ、感謝を伝えた。 関連ニュース 「じゃあ、またね」が最後の言葉 20歳の娘を亡くした男性「死ぬまでその悲嘆を背負う」 「私の服、最期に着てくれていたね」 焼け跡で見つかった母、娘のお下がりで身元判明 「もう一度、母のご飯食べたい」前夜の食卓の記憶、今も鮮明 震災で家も仕事も失った男性が抱き続ける思い

 仲代さんは、神戸市須磨区の自宅で亡くなった。近隣住民によると、揺れを感じて逃げた後、再び自宅へ戻った直後に家が崩落。下敷きになり、迫ってきた火に焼かれたという。
 優子さんは「おばあちゃんがしんどいとか、苦しいとか言うのをほとんど聞いたことがない」。幼い長男を抱き上げてくれて、成長を楽しみにしながら「100歳まで頑張る!」と元気に宣言する姿が胸に刻まれている。
 手先が器用な人だった。大きなハマグリに布を貼り付けた特製のひな人形や羽子板を手作りし、優子さんの子ども向けに「3月までに飾りよ」と贈ってくれた。優子さんは「心の支えにしていた」と感謝する。
 震災が起きたとき、優子さんは妊娠7カ月。自宅は半壊し、小学校低学年の長女らと共に、小学校へ避難した。非常時にもかかわらず、おなかが大きな優子さんに、周りの被災者は優しかった。誕生を見越して「役に立てて」と支援物資の紙おむつやほ乳瓶を分けてくれた。
 混乱の中で生まれた次女も今年で27歳になる。「おばあちゃん、みんな元気にしています。早くコロナが落ち着くよう、空から見守ってください」と碑に手を合わせ、祈った。(名倉あかり)
【特集ページ】阪神・淡路大震災

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