2年前にできた宝塚の震災慰霊碑 146人、それぞれの祈り 「ここに生きている気がする」
2022/01/20 05:30
祖母の名前を家族で見つけて喜ぶ山本友紀さん(左)=宝塚市小林(撮影・斎藤雅志)
阪神・淡路大震災の犠牲者をしのび、兵庫県宝塚市小林の「ゆずり葉緑地」にある慰霊碑で17日、遺族ら146人が花を添えたり、祈りをささげたりした。(西尾和高)
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市内に住む将棋の棋士・森信雄さん(69)は家族4人で慰霊碑を訪ね、震災で失った弟子の船越隆文さん=当時(17)=の名前を探した。
船越さんは1994年、16歳で森さんに弟子入り。福岡から宝塚市内に移り、阪急清荒神駅近くの木造アパート1階で1人暮らしを始めた。
ぼくとつでまじめ。大阪の通信制高校で学びながら、森さんの元で着実に将棋の腕を上げた。しかし、震災でアパートは全壊。がれきの中で命を落とした。
あの朝、森さんは対局のため東京におり、地震があったと知った。ニュースでは神戸しか出ておらず、宝塚の状況は分からなかった。昼になってまな弟子の行方が分からないことを知る。
対局を勝利で終えた翌日未明、将棋会館の職員からメモを渡された。船越さんが亡くなったことを知った。
「これから伸びていこうとしたところだった。プロになれば必ず活躍した。こつこつと勝ちを重ねていくタイプだった」
そう言って、慰霊碑に刻まれた船越さんの名前の前で、そっと手を合わせる。「弟子たちが頑張っている。応援したってな」と祈った。
◇ ◇
慰霊碑は2020年にできたばかり。そこには祖母=当時(81)=を亡くした山本友紀さん(51)=宝塚市=の姿もあった。
祖母の神田龍(りょう)さんは中山寺の近くの木造家屋で、山本さんの伯母と暮らしていた。家は揺れで全壊し、2階で寝ていた龍さんの頭部に柱のはりが直撃。即死だった。1階にいた伯母はがれきから助け出された。
龍さんは温かい人柄で、山本さんは子どもの頃によく遊んでもらった。
「優しい祖母しか知らないので、訃報を聞いて本当に悲しかった」
昨年1月、慰霊碑に祖母の名前が刻まれているのを初めて見た。「ここに祖母が生きている気がする」と心を打たれた。今年も夫哲秀さん(51)、母保子さん(84)と訪れ、また名前を探す。見つけると慰霊碑を指でなぞり、じっと見つめて言った。「本当に、会いたくなるよね…」。手を合わせて目を閉じ、思いを届けた。「おばあちゃん、いつまでも母や私を見守ってね」
【特集ページ】阪神・淡路大震災