命を乗せて 尼崎JR脱線17年、社員の誓い【6】「当たり前」を徹底した先に安全がある 事故後入社も模索続け

2022/04/30 05:30

一般献花に訪れ、慰霊碑に手を合わせる人=4月25日午後、尼崎市久々知3

 宝塚管区駅員、横山慶太郎(25)。入社3年目の社員研修で、上司から事故の経験を聞いた。 関連ニュース 「人が降ってきた」「僕も死ぬんや」 乗客の「証言」で振り返る尼崎JR脱線事故 尼崎JR脱線事故 「自分に命が背負えるのか。批判に耐えられるか」社員5人、当時の心情語る 事故2日後、最初の運転で手が震えた 尼崎JR脱線17年 安全への“感度”を対話で高める


 小学3年の時、学校は創立記念日で休みになり、朝から大阪の自宅にいた。
 テレビのニュース速報で「尼崎で鉄道事故」とテロップが流れたのを覚えている。映し出された現場の映像を見て、幼いながらに大変なことが起きたことだけは分かった。
 ただ現場は遠く、関係者も身近にいない。家族や友人たちとあえて話題にすることもなく、思い出すこともなかった。
 大学時代はラグビーに熱中し、就職を考え始めた3年生の時、部活の先輩から声を掛けられた。勧められてJR西日本に入り、最初に配属されたのが、現場に近い宝塚管区だった。

 2021年春、宝塚駅の会議室。職場の研修で、上司の顔がビデオで映し出されて息をのんだ。「この人がこんな表情をするのか…」。普段から気さくで笑顔しか見たことがないのに、目が暗く沈んでいる。
 普段は積極的に話すことのない事故の経験を、画面越しに語り部として伝えようとしている。
 あの日、尼崎駅から現場に駆けつけると、砂ぼこりの中に、ひしゃげた電車が見えた。動かなくなった乗客が続々と担架に乗せられる。体育館に移ると、大勢のけが人が手当てを受け、遺留品の携帯電話やかばんが次々に運ばれてきた。
 感情を抑えて振り返るのを聞きながら「事故を起こした会社に入ったんだ」と実感が押し寄せた。折に触れて事故のことは聞かされてきたが、身近な上司を通して改めて意識した。
 「すぐそばで起きたんだ」。そこで、乗客106人の命を失わせてしまった。

 入社4年目になり、事故の当事者を直接対応したことはない。しかし、思いをつなぎたいと願うようになった。
 乗客にダイヤを聞かれて分かりやすく案内する。人身事故があるたび、素早く状況を説明する。今も遺族や負傷者が利用しているかもしれないと考えると、そんな業務の一つ一つを中途半端にできないと感じる。
 職場グループのリーダーも務めるようになった。乗客から定期的に駅利用の満足度を聞き取り、毎月20人ほどで改善点を話し合う。清掃や放送は行き届いているか。お辞儀や表情には心がこもっているか。
 「さっきの笑顔、すごく良かったと思います」。先輩にも気兼ねなくそう伝える。互いを伸ばし合えるのは、みんなで同じ方向を目指しているからだと思う。
 「事故後入社の自分たちができること。それは自分たちの当たり前を徹底すること。その先に、乗客の安心感と鉄道の安全がある」
     ◆   ◆
 20年4月、JR西では事故後入社の社員が全社員の52%となり、ついに半数を上回った。
 風化を防ぐ取り組みを続ける。昨春には教訓と反省をまとめた冊子を改めて作った。定期的な社員研修に加え、大阪府内で保存する事故車両を社員教育に使う検討も進めている。
 全社員が事故後入社になる日もいつか来る。だから、それぞれの立場で模索を続ける。日々、命を乗せて。(村上貴浩)
=おわり=
【バックナンバー】
【5】言われ続けた「電車は止まっている時が一番安全」
【4】気付けば、毎月現場に通っていた
【3】走行車内で何度も「人殺し」と非難され
【2】事故後、最初の運転で手が震えた
【1】それぞれの模索

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