私の思い-沖縄本土復帰50年 さまざまな歴史背負い

2022/05/07 05:30

南国のシンボル・ハイビスカス

 私が18歳ぐらいの時、友人が沖縄に行くのにパスポートを取っていて「外国」という感じでした。 関連ニュース なぜ旧日本軍の残虐行為を矮小化する試みが続くのか。元沖縄県知事の戦争責任、反省なき政治と行政があおる台湾有事への懸念とその目的とは  【識者コラム】沖縄の「悲しみ」を思う がさつな歴史観、許さない 保阪正康 【西田議員のひめゆり発言】自民執行部、対応に苦慮 参院選前、保守派離反恐れ

 また、母が旅行に行った時には、太平洋戦争で動員された女学生らを慰霊する「ひめゆりの塔」(糸満市)に訪れたと聞きました。「同じ年頃の人が大勢亡くなり、自分と重なって、見るのがつらい」と言っていたことをよく覚えています。
 5年前には娘と一緒に旅行をして、5月なのに真夏のようでした。美ら海水族館の水槽前に米軍の家族なのか、多くの外国の方がおられた記憶があります。
 江戸時代には薩摩に虐げられ、明治に琉球王国がなくなった。第2次世界大戦では戦場となって植民地のようになりました。現在も米軍基地があり、埋め立て問題などもあります。100年も200年も前から沖縄の歴史はいろいろあり、背負ってきたものの過酷さに思いをはせています。(70歳女性)
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 神戸新聞阪神総局は、沖縄本土復帰50年に合わせ、観光の思い出や復帰50年への思い、エピソードを募集します。名前(紙面ではペンネーム可)と連絡先を記入し、メール(hanshin@kobe-np.co.jp)、もしくはファクス(0798・23・0302)までお願いします。掲載時には要約することがあります。
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