「生きてたら50歳。どんな顔になったかな?」 川西の刺殺事件20年、母「生きてるうちに犯人見届けたい」
2022/05/23 05:30
事件発生現場で、秋雄さんの遺影を見つめる母の盛山時枝さん=川西市栄根2
兵庫県川西市栄根2の路上で2002年5月、同県伊丹市の会社員小瀬(こせ)秋雄さん=当時(30)=が刺殺された事件は、未解決のまま23日で丸20年になった。遺族は有力情報提供者に300万円の謝礼金を設けるも手掛かりはなく、母の盛山時枝さん(74)=伊丹市=は焦りを隠さずに言う。「自分が生きているうちに、犯人を見届けたい」(浮田志保)
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今も遺骨の一部は、ペンダントにして手元に置いている。毎月の墓参りを欠かさず、秋雄さんに語り掛ける。「お墓に来なくなったら、そっちへ行くのが近いと思ってね」。事件から20年がたち、自身も老いを感じるようになった。
秋雄さんは3人兄弟の次男。1人暮らしをして宝塚市内の塗装工事会社で働き、車やバイクが大好きで、レースにも出場して専門雑誌に取り上げられていた。
20年前の5月23日午後11時40分ごろ、エンジンを切ったバイクにまたがり、胸から血を流してうつぶしているのが見つかる。搬送先の病院で死亡した。
「生きていたら50歳。どんな顔になったかな?」「女の子にもなかなか話し掛けられないシャイな子だった」。思い出話をすると、ふわっと時枝さんの顔がほころぶ。秋雄さんの親友だった成田廣光さん(55)=伊丹市=は今もたびたび時枝さんを訪ね、母の日には「秋雄が生きていればすることだから」と花を贈る。
事件を知る人は減った一方で、現場の町並みは変わっていない。時枝さんは今年も現場に花とともに、秋雄さんが好きだったタバコと缶コーヒーを供えた。
◇ ◇
捜査関係者によると、秋雄さんは事件前に川西市内の飲食店で友人らと一緒にいて、「別の友人から尼崎に呼び出された」と言って出ていった。
バイクはハンドルを持つ位置が高く、排気音の大きいタイプ。市内の県道を南進していく秋雄さんの姿を知人が目撃していた。
しばらくして午後11時40分ごろ、血を流して意識を失った秋雄さんを通行人が発見する。場所は、直前に進んでいた方向とは逆の北行き車線の側道上だった。
側道上には南約40メートルにわたって秋雄さんの血が点在していた。このため、川西署捜査本部は秋雄さんがUターンして北進後、側道で降車し、徒歩で南に向かった先で何者かに刺され、バイクに戻って意識を失ったとみている。
胸には鋭利な刃物で刺された痕があり、付近住民らは「バイクの発進音」や「若者が騒ぐ声」を聞いたと証言した。だが、凶器は見つからず、付近の防犯カメラは精度が低く、人や車の動きを特定できていない。
2010年に殺人罪の公訴時効が廃止されるも、容疑者の特定に至っていない。有力情報については、川西署捜査本部TEL072・755・0110