「毎朝登山」100年 大正時代に発足、神戸ヒヨコ登山会 戦争など乗り越え、県内最大規模に
2022/09/22 05:30
神戸ヒヨコ登山会が発足した場所に立つ記念碑=神戸市中央区神戸港地方、大龍寺
六甲山を主なフィールドに、健康維持のための「毎朝登山」などに励んできた神戸ヒヨコ登山会が10月、発足から100周年を迎える。大正時代にわずか10人でつくった同会は戦争などの困難を乗り越え、兵庫県内最大規模の登山会に育った。吉野宏会長は「100年といえどもまだまだヒヨコ。若い世代に親しまれるよう工夫するなど、次の100年へ新たな一歩を踏み出したい」と意気込む。(安福直剛)
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同会は1922(大正11)年10月5日、再度(ふたたび)山(神戸市中央区)の大龍寺山門近くにあった茶屋を利用していた10人が立ち上げた。
険しい山を制することが目標ではなく、登山を通じて体力作りと健康維持に励む。「自分たちは登山に関しては素人。いつまでも謙虚な姿勢で山に登ろう」との思いから「ヒヨコ」と名付けたという。
開港後の神戸では、欧米人が散歩がてら日課のように山に登っていたといい、多くの市民がそれをまね、競い合うように登山会をつくった。最盛期の大正から昭和初期にかけては約150団体あり、ヒヨコの会員も約1300人(1938年)に急増した。
第2次大戦でいったん会員数は落ち込んだが、再び増え、1980年にはピークの約1600人に。一方で、この時期を境に多くの登山会が会員数の減少に悩まされるようにもなった。神戸市内の登山会は現在17団体にまで減り、ヒヨコの会員数も約550人と約3分の1になった。
背景に少子高齢化や趣味の多様化があるといい、吉野さんも危機感を抱き続けている。ヒヨコの活動は、毎朝山に登り、茶屋などに置かれた署名簿に名前を記すことを基本とし、年間50回程度、例会を開く。
しかし、吉野さんは「毎朝登山は強制ではない。それぞれのライフスタイルに合わせて登山を楽しんでほしい」と呼びかける。
口コミで誘ったり、茶屋で知り合った登山愛好家に「一緒に山に登りませんか」「例会に顔だけ出してみて」と声をかけたりし、少しずつ輪を広げた。その結果、ここ10年ほど会員数は下げ止まり、無事に100周年を迎えられそうだ。
「登山そのものは廃れたわけではない。むしろ若者にも人気だ」と吉野さん。「次世代に受け入れられる登山会の在り方を考えながら、次の100年も安全登山を第一に歩みたい」と抱負を語る。
■神戸ヒヨコ登山会、節目機に新たな「会歌」 神戸大名誉教授の神木さん作詞 来月2日、記念式典でお披露目
神戸ヒヨコ登山会は、発足100周年の節目に合わせて新しい「会歌」を作った。作詞は同会会員で神戸大学名誉教授の神木哲男さんが、作曲は全国的に有名な指揮者の矢沢定明さんがそれぞれ担当した。10月2日の記念式典でお披露目する予定で、会員らは練習に励んでいる。
同会の吉野宏会長によると、今ある会歌は設立当初に作られたとみられ、設立5周年の冊子に歌詞が載っている。ただ、曲調が分からないため歌えず、歌詞も「軍歌のようなイメージ」なことから、今回新しく作ることに決めた。
新しい会歌の歌詞には、約100年前に外国人に倣って登山を始めた先人たちが会を設立した経緯や、六甲山の全山縦走、「急(せ)らずゆるまず安全登山」という同会のモットーなどを盛り込んだ。4番まであり、同会の将来を見据え「百年超えて」「神戸の宝」と結んでいる。
神木さんは本来、経済学者だが、吉野さんから作詞を依頼され快諾した。「自身も健康のためにお世話になってきた。これまでの歩みと今後の100年を歌詞に込め、頑張って作りました」と笑顔で話した。