戦艦大和が助けてくれた~92歳すし職人の沖縄戦(1)輸送船団
2022/11/09 05:30
板前に立つと目つきがしまる=神戸市中央区楠町6、鮨いずも(撮影・坂井萌香)
■たくさんの人が死んでいったわ。でもな、運命やねん。仕方ないんや。
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92歳の現役すし職人がいる。神戸市中央区楠町にある「鮨(すし)いずも」の大将、石飛(いしとび)正利さんだ。腰は直角に曲がり、店に通うのも一苦労だが、すしへのこだわりは人一倍。経験に裏打ちされた包丁さばきと握りに、客はうなる。「わしが今もすし職人をしていられる理由? 戦艦大和に助けられたからや」
◇
「鮨いずも」は神戸大学医学部付属病院に近い幹線道路の交差点にある。年季の入った白いちょうちんが目印だ。
引き戸を開ける。やわらかな灯(あか)りが広がる狭い店内に、L字形のカウンターが一つ。座席は10席。阪神・淡路大震災の震度7を耐えたが、棚の一部は傾いたままだ。
創業58年。女将(おかみ)で妻の一枝さん(78)と2人で店を守ってきた。
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「人間国宝みたいなすし職人がおる」。うわさを聞いて、店を訪ねた。
「うちは昭和の店やから。なんもええことないで」。髪をきれいに結った和服姿の一枝さんが言った。石飛さんもあまり気乗りがしないようだ。
「……あるとしたら戦争に行った話ぐらいか」
思わぬ展開に質問を重ねると、ぽつりぽつりと語ってくれた。
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15歳。海軍の少年兵だった。1945年3月、太平洋戦争は末期にさしかかっていた。米軍が慶良間(けらま)諸島に上陸し、日米は沖縄戦に突入。日本本土から食料や武器を届ける航路がほぼ断たれていた。
そこで、ある秘密部隊がつくられた。海軍の「大島輸送隊」だ。制空権を米軍に握られる中、船で突き進む決死の輸送船団だった。
任務は沖縄に近い奄美大島などへ、九州から物資を届けること。
船は6隻。3分の1が乗船経験のない寄せ集め部隊で、武器も貧弱だった。その中に石飛さんもいた。初めての戦地任務だった。
予期せぬ運命が待ち受けていたのは、任務を終え、九州へ帰るころだ。米軍に発見された。船団はすでに3隻が沈没、座礁し、102人が戦死していた。
■
米軍機が急降下するたびに「今やられるか、今やられるかと身震いしとった。だけど、この日は違うねん。別の方向にひゅーっと飛んでいったんや」。
これまでなら輸送艦や海防艦だけでなく漁船さえ徹底的に攻撃されたのに…。
不思議に思っていると、昼ごろ、甲板上でざわめきが起きた。
遠方に、城のようにそびえる艦影がうっすらと見えた。「あれは何だ?」。通信室にいた石飛さんにもうわさが伝わった。
「大和だ、大和!」
全長263メートル。巨砲を備え、無敵の不沈艦と呼ばれた戦艦大和だった。輸送隊は、特攻に向かう戦艦大和とすれ違っていたのだ。
数十分後、水平線の向こうで黒煙が上った。戦艦大和が米軍機の集中砲火を浴びていた。
午後2時23分、沈没。
大和に標的を絞っていたから、ほかの船は狙われなかった-。
石飛さんがその事実を知ったのは、終戦後だった。
仕込みの手を休め、たばこをくゆらせながら一息ついた。「かわいそうにな。たくさんの人が死んでいったわ」。石飛さんは目を伏せた。
「でもな、運命やねん。運命やから仕方ないんや」
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今の時代なら、人生のさまざまな場面で自分のしたい選択ができる。でも、石飛さんは戦争で生き残ることも死ぬことも「運命」と言った。どういうことなのか知りたくて、鮨いずもに通った。(山脇未菜美)