<記者コラム>被爆者語る「原爆は絶対悪」 核兵器廃絶への願い
2021/05/25 05:30
核実験を行った国に兵庫県三田市が抗議文を送るのは、1989年に非核平和都市宣言を出し、一日も早く地球上から核兵器が廃絶されることを求めているからです。最初に送ったのは98年で、以来計24回になります。
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言うまでもなく、日本は被爆国です。45年8月6日午前8時15分に原子爆弾を落とされた広島市は、毎年その時期、地方紙の記者を集めて研修をしています。記者たちは10日間ほど現地に滞在。被爆の実相や核兵器を巡る諸問題について学び、被爆者や平和記念式典の取材に当たります。
私は2012年に参加しており、忘れ得ぬ言葉があります。
「原爆は絶対悪。孫たちにあんな思いをさせたくない」。14歳の時、爆心地から2・3キロ離れた動員先の工場で被爆し、大けがを負った女性が体験を語ってくれました。
死体の間を歩き、焼けた皮のヌルヌルとした感触が今も残っている、と。「地獄。まさに地獄でした」
父は1年半後に亡くなり、母は原爆の影響で入院。その後10年、入院費を稼ぎながら3人の弟を養ったそうです。食べるものもなく、「明日が来なければいい」と思うほどでした。
記憶から消したいほどの苦しみ。それでも女性は「生きている限り、こんな残酷なことがあったとすべてを話しておきたい」と、体験を語り継ぐ活動に取り組んでいました。
「絶対」という言葉を、この日ほど重く感じたことはありません。(土井秀人)