「絶望の被災地に元気与えてくれた」渡哲也さんの死去惜しむ声
2020/08/15 06:00
阪神・淡路大震災の被災者らに炊き出しのおでんを振る舞う渡哲也さん(右手前)=1995年2月9日、芦屋市川西町、川西運動場
兵庫県が生んだ名優・渡哲也さんが逝った。幼少期を旧淡路町(現淡路市岩屋)で過ごし、三田学園中・高校(三田市)を経て芸能界入り。アクション派で一世を風靡(ふうび)し、後年は演技派としてNHK大河ドラマ「義経」の平清盛役をはじめ印象に残る役を演じた。故郷では惜しむ声が上がった。
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中学・高校の同級生で、多可町の笹原浩さん(78)は「具合が悪いと聞いていたが…」と驚いた。中学時代、寮で一緒に生活。ブックバンドで通い、「おしゃれであか抜けていた」。すき焼きパーティーで石原裕次郎さんの曲を熱唱。「夢を実現させ、同級生として誇り。まだ活躍してほしかった」と声を落とした。
阪神・淡路大震災では、渡さんらの「石原プロ」が移動入浴車「石原裕次郎号」を芦屋市に寄贈。温かい炊き出しも振る舞った。
山中健前芦屋市長は、炊き出しに長蛇の列ができたことを覚えている。「石原軍団が来たと市民は喜んだ。絶望の淵にあった被災地に元気を与えてくれた」
幼き日々を過ごした淡路島でも慕われ続けた。「もう一回、淡路に帰ってきてほしかった」。渡さんの実家近くに住んでいた淡路市岩屋の自営業笘屋俊次さん(76)は残念がった。
近寄りがたい雰囲気がある一方で、渡さんの実家で食事を一緒にしたときは「遠慮したらあかんで」とほほ笑みかけてくれた。「淡路に帰ったときも、会うと黙礼してくれました」
2006年の大学発足当初から渡さんが後援会の副会長を務めた関西看護医療大(淡路市志筑)の江川隆子学長は「名前は伏せてください、と寄付などの支援をしてくれた。大学の成長を精神的にも経済的にも支えてくれた。古里にできた大学を大切に思ってくれていたのだと思う。感謝の気持ちでいっぱい」。淡路市岩屋の廣田克子さん(70)の亡き夫保男さんは、渡さんと小学生の頃から仲良しだった。保男さんは渡さんを「みっちゃん」と呼び、墓参りなどで帰った際は、渡さんと会ったという。克子さんは「地元住民には誇り。岩屋に記念館をつくってほしい」と言葉に思いを込めた。
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