がん闘病の男児が最期まで世話した「ミニトマト」
2020/10/18 06:50
小学校で実った「とおるくんのミニトマト」=神戸市須磨区菅の台4
神戸市立菅の台小学校(同市須磨区)の児童と先生が、みなさんもよく知っているあの野菜を大切に育てています。みんなで「とおるくんのミニトマト」と名づけました。何があったのでしょう。(小谷千穂)
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「さわり心地がざらざらしていました」
8月下旬、3年生の教室で松本祐子先生(35)が絵日記を見せながら話しました。「みんなも知ってる通り、これは昨年、透君が書きました」
「花が大きくなってました。はっぱが大きくなってました。うれしい気持ちが伝わってきますね」
教室を見渡して、言いました。「これが、透君の最後の観察日記になってしまいました」
松本先生は続けます。
「透君はこの後、ミニトマトを口に入れて食べることができなくなってしまいました。大きく育つのを、ずっとずっと、ベッドから見ていたと思います」
杉本透君は3人きょうだいの末っ子です。家族や友だち思いの優しい性格で、好奇心旺盛、漫画「ONE PIECE(ワンピース)」とプールが大好きでした。
腰の骨が腫れているのに気付いたのは4歳のときです。複数の小児科病院を回って、子どもを襲うがん「ユーイング肉腫」と分かりました。
小さな体で必死に病気と闘いました。抗がん剤治療。肺に転移した腫瘍の摘出…。症状が落ち着くと、定期検診を受けながら登校を再開します。
母親の千恵さん(46)が「何でも友だちと同じようにやりたがった」と言うように、学校の助けを借りながら、授業や運動会、習い事を、同級生と一緒に挑戦しました。そして、だれにでも「ありがとう」と感謝を伝えました。
2年の担任だった松本先生は「みんなから愛されていた」と話します。
ミニトマトの観察は2年生の夏休みの宿題でした。水やりと日記を続け、2学期初日に学校に持っていくはずでした。
ですが、透君は登校できないまま、昨年9月11日に息を引き取りました。7歳でした。
年が変わり、枝や葉は枯れましたが、赤い実は種を結びました。透君の自宅を訪れた先生たちがそれに気付き「もう一度、育てませんか?」と提案します。
新型コロナウイルスの感染拡大で休校中だった4月、植物にくわしい先生の力も借り、試行錯誤の末に発芽させました。
6月、学校が再開してからは透君の同級生を中心に、水やりをして成長を見守りました。
透君とお別れしてから約1年。松本先生の話を聞いた児童たちは、じっくり観察してから、あめ玉のような赤い実を口に含みました。
「甘い」「おいしいね」
声が上がります。運動会のかけっこで透君の車いすを押したことがある女児(8)は言いました。「透君はみんながトマトを食べてるすがたを見て『おいしいだろうな』って笑ってくれているかな」
同小は「とおるくんのミニトマト」の成長をホームページで報告しています。たくさん種がとれたら、ホームページを通じて配布の呼びかけをすることも考えています。
母親の千恵さんは「透は7歳で亡くなってしまったけれど、精いっぱい生きた時間には何かの意味がある。トマトが残ったら、みんなが透のことを覚えていてくれるかな」と話します。