出口見えない長いトンネル かつては鉄路、今はバス道 宮城

2021/03/08 14:45

震災前は線路があった長いトンネル。津波で被災後、今はバスが走る=宮城県南三陸町

 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町。津波で580人以上が犠牲となり、住宅の約62%が全半壊した。沿岸を南北に貫くJR気仙沼線も被災し、鉄路があった場所の一部を今はバスが走る。線路跡を専用道にしたバス高速輸送システム(BRT)だ。 関連ニュース 津波耐えた桜、そろばんに 小野の製造業者が2年かけ製作 気仙沼の再生感じる場に 神戸大准教授がデザイン、復興公園11日に開園 生死のはざまに立って 救援に駆け付けた機動隊員

 気仙沼線の被災区間は震災前から乗客数が減少傾向で、JR東日本は早期復旧を断念してBRTを導入。鉄橋やトンネルなどは被災前の姿を残している。
 間もなく10年を迎える被災地を取材した帰路、BRTに乗った。やがてバスは、出口が見えないほど長いトンネルに入っていった。
 「『十年一昔』と言うけれど、生きている限り、区切りなんかつけられるわけない」。震災で長男を失った同町の漁師の男性(68)が絞り出すように語った言葉が、トンネルにこだました気がした。(斎藤雅志)

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