終戦告げる「玉音放送」を守った陸軍大将 出身地・たつの市の男性が評伝出版
2021/08/19 11:00
龍野公園の顕彰碑を背に、田中静壱の評伝小説を持つ筆者の横家伸一さん=たつの市龍野町下霞城
1945年8月15日。太平洋戦争の終結を告げる玉音放送が正午から流れた。放送を阻止しようと陸軍の青年将校らが反乱を起こしたが、その「宮城事件」を鎮圧したのが陸軍大将・田中静壱(しずいち、1887~1945年)だった。戦後76年を前に、静壱の出身地・兵庫県たつの市の男性が評伝小説を出版した。(直江 純)
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たつの市揖保川町のアマチュア作家・横家伸一さん(71)は自身3冊目の評伝小説「八月十五日終戦秘話・宮城事件 陸軍大将田中静壱伝」(文芸社)を今月出版した。史料がない部分は想像も交えて静壱の生涯を描いた。
静壱の奮闘は、今年1月に亡くなったノンフィクション作家・半藤一利さんの代表作「日本のいちばん長い日」にも登場する。反乱を企てた陸軍省の少佐を静壱が一喝して追い返す場面は、同作の2度の映画化でも重要な場面として描かれている。
横家さんは「公立学校職員だった私は『教え子を戦場に送るな』との考えで生きてきた。軍人称賛には抵抗があったが、地元出身の静壱を調べるうちに人物像に魅了された」と話す。
静壱は、現在のたつの市揖西町小神の豊かな農家に生まれ、龍野中学(現龍野高校)から陸軍士官学校に進んだ。当時の陸軍は幼年学校出身者がエリート扱いされたが、一般中学出身者の静壱は英米通として頭角を現した。大尉時代には英オックスフォード大に留学、大佐時代には駐米武官としてワシントンに赴任し、ルーズベルト大統領や陸軍参謀総長だったマッカーサーとも交流した。後の連合艦隊司令長官・山本五十六とも親交を結んでいる。
静壱は宮城事件などの反乱を鎮圧した後、8月24日に自決している。静壱の孫の山田美子(よしこ)さん(79)=たつの市=は前年の44年まで東京・目黒で静壱と同居していた。
6歳だった姉(82)=横浜市=は自決前日に静壱本人から「おじいちゃんは死ぬんだよ」と打ち明けられたという。美子さんは「姉は驚きのあまり誰にも言えず、後で母にこっぴどく叱られたそうです。祖父はそれだけ孫がかわいかったんでしょう」と目を潤ませた。
地元では戦後、静壱を顕彰する動きが盛んになった。JR姫新線・本竜野駅前には静壱を「平和日本再建の礎」とたたえる石碑が立つ。龍野公園にも顕彰碑が残るが、経緯を知る世代は少なくなった。美子さんは「横家さんの小説で祖父を知ってもらえれば」と出版を喜んでいる。
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