「日本のいちばん長い日」。今年1月に90歳で亡くなったノンフィクション作家・半藤一利さんの代表作だ。1945年8月14日正午からの24時間を指す。クライマックスは15日正午の玉音放送だ。15日未明、敗戦を認めない青年将校らが反乱を起こして放送を阻止しようとしたが、それを鎮圧したのが、兵庫県たつの市出身の陸軍大将・田中静壱(しずいち)だった。
(たつの支局・直江 純)
■「録音盤を探せ」。皇居を占拠
太平洋戦争末期の1945年夏。アメリカ・イギリス・中華民国の首脳名で出された降伏勧告「ポツダム宣言」をめぐって鈴木貫太郎内閣は揺れていた。阿南惟幾(あなみ・これちか)陸軍大臣らは本土決戦を主張したが、8月に入ると広島、長崎が原爆で壊滅。ソ連も中立条約を破って参戦し、大勢が決した。
8月10日未明、最高戦争指導会議に加わった昭和天皇が宣言受諾を決め、「聖断」と呼ばれた。しかしその後も、連合国側からの回答を巡って紛糾。14日に再度、御前会議が開かれ、宣言受諾が最終決定した。
これに納得しない陸軍省などの佐官クラスが企てたクーデターが後に「宮城(きゅうじょう)事件」と呼ばれる。15日未明に森赳(たけし)・近衛第1師団長を殺害し、偽命令を出して将兵を動かし、宮城(現皇居)に乱入した。録音盤を奪って玉音放送を阻止しようと、宮内省の庁舎などを家捜しした。
田中静壱は1887年生まれ。1945年当時は、東日本防衛を担当する「東部軍管区司令部」の司令官だった。反乱首謀者の畑中健二少佐は、蜂起に先立つ14日午後3時ごろ、静壱に面会を求めた。クーデター加担を要請する腹づもりだった。
残り文字数 4862 文字 記事全文 5529 文字