じいちゃんの命、無駄にしない 祖父亡くした小学校教諭、自分にできる防災学習を続ける決意
2022/01/17 19:50
亡くなった祖父の慰霊のため東遊園地を訪れた大前敏郎さん(左)。竹灯ろうに明かりをともしながら長男に祖父のことを話して聞かせた=17日午後、神戸市中央区加納町6(撮影・小林良多)
じいちゃんの面影も、震災の光景もおぼろげだ。ただ、深い愛情の記憶は消えることがない。神戸市灘区に住む小学校教諭、大前敏郎さん(33)は、祖父の堯敏さん=当時(67)=を失った。敏郎さんは神戸・三宮の東遊園地にある祖父の銘板の前で「元気に頑張っとうで。ひ孫の顔見せたかったわ」と語り掛けた。
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灘区内で徒歩10分圏に住み、毎週末を祖父の家で過ごした。押し入れから体に飛び乗っても、堯敏さんはにこにこ笑っていた。幼稚園の行事に必ず参加し、そのビデオ映像を何度も見ていたことを、亡くなった後に知った。寡黙でも、優しかった。
震災当時、敏郎さんは幼稚園年長組の6歳だった。一家は全員無事だったが、堯敏さんは勤務先へと歩いている途中、自宅近くの水道筋商店街(神戸市灘区)で、倒壊した建物の下敷きになった。半日後に救出されたが、脚が長時間圧迫されて毒素が全身に回るクラッシュ症候群で、約2週間後に亡くなった。
「家族や孫が心配になり、引き返そうとしていたようだ」と敏郎さん。そのまま勤務先に向かっていれば助かったのでは-。やるせない思いがある一方、「優しいじいちゃんらしいな」とも思う。
教師になった敏郎さんは2017年、結婚を機に故郷に戻った。勤務先の本庄小学校(同市東灘区)で昨年12月、6年生に祖父を失ったことを話した。長い年月で、気持ちの整理はついていたはずだったが、不意に鉛のようになしんどさを感じた。「じいちゃんの命の重みや」と実感した。
学校ではまず興味を持ってもらうため、楽しんでもらう防災学習を心がける。そして、命の大切さを伝える。じいちゃんの死を無駄にしないため、自分にできる精いっぱいを続けるつもりだ。
17日は妻(31)、長男(3)と一緒に東遊園地を訪れた。「とし、子どもを大事にせえよ。さぼっとったらあかんど」。祖父の声が聞こえた気がした。(藤井伸哉)
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