トップスターとして生きてきたから「つらい」が言えなかった タカラヅカ元花組・愛華みれさんが語る悪性リンパ腫との闘い
2022/06/05 17:00
悪性リンパ腫の闘病経験を語る愛華みれさん=東京都(提供写真)
2人に1人がかかるといわれる「がん」。宝塚歌劇団の元花組トップスターで女優の愛華みれさん(57)も、血液のがん「悪性リンパ腫」の闘病を経験しました。激しい痛みに襲われても、トップスターとして生きてきたからこそ、「つらい」が言えなかったという愛華さん。闘病や、生きづらさとの向き合い方について語ってくれました。
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-がんが分かったのは2008年春でしたね。
「右の鎖骨あたりに、ゴルフボールぐらいのしこりを見つけました。でも、医者嫌いで、病院に行くことから逃げていました。兄や姉に強く勧められて受診すると、医師は『すぐに舞台を降板できますか?』と。大きな病院を紹介され、そこで血液のがんだと告知されました」
「私、いったんは笑い飛ばしたんです。『先生、何? がんなの?』って。でも、診察室を出た途端、パニックになり、泣きながら歩きました。まさか。なんで? 死ぬの? 舞台の仕事ができなくなる恐怖や治療の不安も、次から次に襲ってきました」
-舞台を降り、治療に専念しましたね。
「宝塚時代の『苦しい時こそ笑え』という教えが心にあり、しんどくても笑うようにしていました。副作用で食欲不振になっても、『気合です』と言って、カツ丼を食べていました。病室ではパジャマは着ず、ジャージーで過ごして、楽屋だ、トレーニングだ、と思うようにしていました」
「しかし、入院中は痛みが尋常じゃありませんでした。それでも、私はナースコールを押すことができず、ひたすら耐えていました。ある夜、うずくまって耐えていると、看護師さんが『痛いんじゃないの?』と声をかけてくれました。『痛いです』と初めて言えた時、痛みが半分になったんです。看護師さんに優しくさすってもらいながら、涙がどーっと出ました」
「私はそれまで、トップスターであらねば、リーダーであらねばと思えば思うほど、『みんな頑張るよー。今日も行くよー』って、人を励ますばかり。自分の『つらい』や『助けて』を言えていませんでした。でも、初めて自分の思いを伝えられた時に痛みが減ったのは、うそみたいな本当の話です。自分の思いを相手に伝えられた時、ほっとしました」
-闘病中の支えは。
「ベッドから起き上がれない時もありましたが、主治医が、私が立つ予定の舞台のチケットを購入してくれたんです。それで『ぼやぼやしてられない!』と。生きがいをもらえたことは、私にとっては薬以上の効果がありました。それからは、吐いても『これは治るためだ』と考えたり、痛くても『今のうちに、痛くなっとけー』と思ったり。痛みを感じたらお風呂につかったり、グレープフルーツのいい香りをかいだりし、明るくなれることは、いろいろやりました」
「実は、治療中、うつの症状もありました。これがやっかいで、どんなに頑張ろうと思っても、下ばかり見てしまいます。私なんてどうせ、とか、この世からいなくなっても誰もさみしくない、とか…。ベランダで、ここから飛び降りた方が楽かな、と思ったこともあります。でもある時、下ばかり見てるからダメなんじゃないか、と気づいたんです。月を見上げてみると、想像力が膨らんで、宇宙まで自分が行った気分になった。『なんだ。私、こんなちっぽけなことで悩んでるの?』と思えました。上を見るのと、下を見るのとで、こんなに気分が違うのかと思いました」
-家族はどんなふうに接してくれましたか?
「姉とは、中学生以来の取っ組み合いのけんかをしたんです。『私の気持ちが分かるか。私、死ぬかもしれないんだよ』とか言って。でも、そんな私の気持ちを姉が半分こしてくれたおかげで、軽くなった部分がありました」
「主人は、私は『病気だから、結婚はやめましょうか?』と言った時、『がんもあなたの個性だから、いいんじゃないですか?』と言ってくれました。向こうから声をかけたり、べたついたりする人ではないんです。でも、振り向くと…いる。いるかな、と思うと、いてくれます。それでほっとします」
-闘病を経て、今はどうですか?
「出身の鹿児島弁で『てげてげ』という言葉があります。『いいかげん』という意味で、昔は『てげてげな人って嫌い』と思ってたけれど、病気になってからは、プラスなこととマイナスなことをちょうどバランスをとって、『良い加減』でがんと向き合っていこう、と。いい言葉だな、と思っています。頑張りすぎは良くないと思うようにして、疲れを感じたら水を飲むとか、バランスを取りながらやっています」
「放射線治療の後遺症はあります。でも、私は生きていて、昔より歌えている。がむしゃらに歌っていた昔より、今の方が歌が好きです。がんでダメになったことばかり見ていたら生きづらいけれど、治療したおかげで今があると思えば、よーし頑張るぞ、と思えます」(聞き手・中島摩子)
【あいか・みれ】1964年11月生まれ。鹿児島県出身。1985年、宝塚歌劇団で初舞台。花組に所属し、男役として活躍。1999年、「夜明けの序曲」で花組トップスターに。代表作に「源氏物語 あさきゆめみし」「ルートヴィヒ2世」など。2001年11月に退団後は、舞台やショー、テレビなどで活躍。著書に「てげてげ。『良い加減』なガンとの付き合い方」がある。