「生かされている」103歳の元日本兵が伝える命の重み 激戦ビルマから帰還

2022/08/12 05:30

子どもたちに戦争体験を語る細谷寛さん=2015年7月、神戸新聞社

 今年103歳になった元日本兵の細谷寛さん(神戸市垂水区)は、太平洋戦争中にビルマ(現ミャンマー)の戦場で死線をさまよった。戦後は心に悩みを抱えた人の話を聞く「神戸いのちの電話」の相談員も務めた。夏休みが明けると、子どもの自殺が増えるともいわれる。元日本兵は命の尊さをどう伝えるか。戦後77年の夏に聞いた。(森 信弘) 関連ニュース 原爆の被害、捉えた写真50点 小中学生の絵画も 相生で非核平和展 民家で見つかった大鍋と鉄かまど 不要品で処分予定が…“歴史”分かり一転保管へ 「敵機襲来。アカン西宮や。」夜空に飛行機の爆音と焼夷弾… あの晩、九死に一生を得た少年の話

 細谷さんは負傷者を運ぶ陸軍の担架兵だった。連合国軍の攻勢の中、飢えに悩まされ、伝染病のマラリアもまん延。過酷な戦場で九死に一生を得た。耳が遠くなったものの、俳句や写経、ラジオの高齢者放送大学を楽しみ「結構忙しいですよ」と元気そのものだ。
 「いのちの電話」の相談員はボランティアで、65歳で仕事を辞めてから5年間務めた。実は10代の時、自殺未遂を3度も図っていた。最初は15歳だった。両親は離婚し、母親と大阪で暮らしていたが睡眠薬を飲み、意識不明になった。
 細谷さんの腕の斑点を見た母親の一言から、恐ろしい病気と思われていたハンセン病だと信じ込み、迷惑をかけたくないと思ったからだ。その後も思い込みが消えず、香川県に住む親戚に引き取られてからも2度、睡眠薬を飲んで死のうとした。
 だが「戦争から帰ってきた時、自分は生かされていると感じた」と言う。ビルマでは、死を覚悟して助かったことが3回あった。足を負傷し、体力も尽きて倒れた場所は野戦病院の前だった。決死の渡河作戦で目の前にいかだが流れ着いていたという体験もした。細谷さんの命に対する考え方が定まった。
 電話相談は、自殺未遂の体験から、死にたい人の気持ちが分かると思って養成講座を受けた。1985年から5年間、神戸市内の施設で月に2回ほど夜に受話器をとった。人間関係、親子や夫婦の問題、若い人の性の話…。内容はさまざまだった。
 相談は1回につき2人ほどで、延べ約200人の心の叫びに耳を傾けた。話は聞くだけで、相手が自分でどうすべきか気付くよう導く。その中で、悩みが尽きない人は、自分で苦しみをつくり出してしまっているようにも感じた。
 ビルマでは、多くの仲間が生きたくても生きられなかった。「自殺をする人は命を自分の所有物だと考えるから、死んでもいいと思ってしまう。自分が大きな力で生かされていると気付いたら、自殺ってあまりしなくなると思う」
 戦後70年を迎えた2015年の夏。小中学生を前に戦争体験を話した時には「命とは、自分が使える時間。それを少しでも人のために使えるような大人になって」と呼びかけた。
 命を絶とうとした自身の体験を振り返り、子どもたちには、悩みを抱え込まず誰かに打ち明けてほしいと考える。「大人は、子どもと思いやりのあるコミュニケーションを大事にしてほしい。そして、命の意味や大切さ、人間としての生き方を大人が身を持って示すべきだ」

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