「再び息子を奪われたよう」稲美・高1集団暴行死、母親の高松さん 家裁の事件記録破棄に
2022/11/13 05:30
家裁による事件記録廃棄への怒りを口にする高松由美子さん=兵庫県稲美町(撮影・小林良多)
「事件の記録には奪われた息子の命が宿っている。そこにしか真実はないんです」。家裁による少年事件の記録廃棄問題が報じられた新聞記事を手にして語るのは、1997年に兵庫県稲美町で起こった集団暴行事件で当時高校1年の長男を亡くした高松由美子さん(67)=同町。自宅には、同事件に関わる民事訴訟を起こした際に集めた資料が残っているが、それも一部だけだ。「報道を知った時、裁判所から再び息子を奪われた気がした」と怒りを込める。(勝浦美香)
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■真実を知りたい、民事裁判へ
高松さんの長男聡至(さとし)さん=当時(15)=は97年8月、中学時代の同級生ら10人の少年に集団暴行を受け、9日後に亡くなった。加害者は、中学時代に一緒に非行に走った友人たち。高校生になり、更生の道を選んだ聡至さんを深夜に呼び出し、暴行を加え続けた。
加害者らの名前は明かされず、匿名で報じられた。少年審判の傍聴も、当時の法律では許されなかった。「どこの誰に、なぜ殺されたかも知ることができないなんて」と憤ったが、高松さんはすぐにその加害者らを知ることになった。
「田舎の小さな町ですから。しばらくするうちに誰がやったかは分かってしまった」。高松さんは当時を振り返る。「何人かはよく知っている聡至の友だち。まさか殴ったりなんてしないと思っていた。心のどこかで信じられない気持ちがあった」
「少年審判が公開されないなら民事しかない」。真実を知りたい気持ちと、保護者にも責任があると感じたことから、少年とその親たちを相手に損害賠償を求める民事訴訟を起こした。
■残されたのは段ボール2箱分だけ
裁判に向けて、悲しむ間もなく情報を集めた。「なんで遺族がこんな目に」とつらくなることもあったが、息子への思いに突き動かされた。
弁護士を通じ、関連する資料の一部を手に入れた。だが、まるで自分が暴行を受けているように苦しくなり、半分も読めなかった。民事裁判では、少年たちに動機を質問する機会もあった。それでも「なぜ聡至が殺されたのかは分からなかった」と目を伏せる。
現在、高松さんの手元にあるのは小さな段ボール2箱分の資料だけ。あれ以来読むことができていない。しかし神戸家裁は取材に対し、少年事件の記録は1件も永久保存していないと明らかにしている。記録の全てが廃棄されたとみられる今では、唯一のよりどころとなってしまった。
■「ただ真実が知りたい」記録は一番の手掛かり
「遺族はただ真実が知りたいだけ。その一番の手掛かりとなる記録を、時期が来たからといって簡単に捨てられるとは思ってもいなかった」と声を震わせ、「せめて遺族には文書で通知、説明するなどの対応がほしかった」と訴えた。
事件は今年、発生から25年を迎えた。悲惨な少年事件はその間にも起こり続け、高松さん自身も「ひょうご被害者支援センター」の役員として遺族らの支援に携わってきた。
「裁判所にとって私たちは大勢いる中の一人でしかないのかもしれない。でも、遺族はそれぞれ心を裂かれるような気持ちで事件に向き合っている。それだけは忘れずにいてほしい」
【兵庫県稲美町の集団暴行死事件】1997年8月23日深夜、県立高校1年の高松聡至(さとし)さん=当時(15)=が、自宅近くにある神社の境内で中学の同級生らに集団暴行を受け、9月1日に亡くなった。加害者で当時14~16歳の少年10人は傷害致死容疑で逮捕、送検され、少年審判を経て少年院に送致された。聡至さんの遺族は2000年、少年と保護者に損害賠償を求めて提訴。神戸地裁姫路支部の一審判決は保護者の責任を認めなかったが、04年の大阪高裁控訴審判決は、少年10人に加え保護者にも連帯して賠償金の支払いを命じた。