堂安「絶対活躍する」53年ぶりのメダル挑戦 五輪サッカー3位決定戦

2021/08/06 06:01

3日のスペインとの準決勝で奮闘した堂安律(右)。3位決定戦で必勝を誓う=埼玉スタジアム

 東京五輪サッカー男子の日本が6日、1968年メキシコ五輪以来の銅メダルをかけ、53年前と同じメキシコとの3位決定戦に挑む。延長戦の末にスペインに敗れた3日の準決勝後、エースナンバー「10」を背負う堂安律(23)=PSVアイントホーフェン=は言った。「アスリートとしての器が試される場面。自分が楽しみ」。強気な言葉で自らを奮い立たせ、最後の大勝負に挑む。 関連ニュース 堂安シュートに大歓声 出身クラブの児童ら観戦会 「世界一になれる」コーチがほれ込む高飛び込みの14歳たまちゃん 寺内は息抜き仲間 五輪競泳・ジェイ・リザーランド選手が「銀」 尼崎の祖父母感無量 親類ら抱き合い喜ぶ


 兵庫県尼崎市で生まれ育った堂安は、8歳上の麿(まろ)さん、3歳上の憂(ゆう)さんを追って3歳でサッカーを始めた。
 「兄たちとボールを蹴っていたからか、小さい頃から技術は抜けていた」。3兄弟が在籍した「浦風FC」の田村将行監督(66)は懐かしむ。とにかく強気にドリブルでゴールに迫り、「キーパーまで抜いていた」。4年生で強豪チームに移るまで二つ上の学年でプレーさせていたが、それでもうまさは際立っていたという。
 尼崎市立小田南中(現小田中)入学とともにJ1ガンバ大阪の下部組織に入り、世代別の日本代表にも選ばれるように。一方で、快活な性格で学校の友人も多かった。
 当時の生徒指導教諭、佐久間直紀さん(46)は、周囲が部活動を引退した中3の夏、「みんなが遊びにいくのに、なんで(練習に)行かなあかんの?」とこぼした堂安の姿を思い起こす。
 「人懐っこくて友達思いなのは今も変わらない」。成人式を迎えた2019年1月、日本代表としてアラブ首長国連邦でアジア・カップを戦っていた堂安から、佐久間さんに電話があった。「日本に帰ってきたら(成人式)やってぇや」。冗談めかしていたが、世界に飛躍した陰で抱える寂しさを感じたという。
 「おかんや家族、友達とかが喜んでくれるのがうれしいねん。絶対活躍してくるから」。佐久間さんが今も堂安から聞くのは、そんな言葉だ。
 準決勝の後、堂安は「このオリンピックで国民の人たちにもっと元気や勇気を与えたい。そのチャンスが目の前にある」と3位決定戦に鋭いまなざしを向けた。みんなに喜んでほしいから、勝ちたい-。53年ぶりのメダル獲得へ、力の限りを尽くす。(山本哲志、藤村有希子)

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