「生きててくれてありがとう」 世界の舞台へ続く夢と親孝行 愛情を胸に握るバーベル

2021/08/25 11:03

東京パラリンピックのパワーリフティングに出場する光瀬智洋選手=3月10日、神戸市中央区(撮影・秋山亮太)

 世界各国の力自慢が集まる東京パラリンピックのパワーリフティング。男子59キロ級の光瀬智洋(28)=シーズアスリート、尼崎市出身=が27日、初舞台に挑む。9年前、電車にひかれて車いす生活になった。「生きててくれてありがとう」。両親の愛情を胸にバーベルを握る。(有島弘記) 関連ニュース 東京都心にブルーインパルス パラの3色、鮮やかに 東京パラリンピック開幕 兵庫ゆかりの21選手がコメント パラ五輪フランス陸上代表、迫力の練習「三木に来て良かった」 スタンドからエール

 夢は俳優だった。専門科がある短大の入学式を翌日に控えた2012年4月1日早朝、JR三ノ宮駅のホームから線路に転落した。目が覚めるまで約1週間-。
 「生きてて良かった」
 母里美さん(61)はことあるごとにそう言ってくれたが、看護師として障害者の現実をよく知っていた。車いす操作や排せつなど社会復帰の訓練が身に付くように厳しく接してくれた。
 大工の父博幸さん(62)は寡黙だが、友だちと再び三宮に行けるようになると「お前、すごいな」と、進歩が見えるたびに褒めてくれた。「少ない言葉がすごく(心に)刺さった」と、光瀬は振り返る。
 車いすバスケットボールを始めたが、けがが転機になった。リハビリの一環で筋力トレーニングを始めると、日本スポーツ振興センターが16年秋に開いた選手発掘事業で適性を見いだされ、パワーリフティングの世界に入った。
 昨年2月、全日本選手権で初優勝。動画配信で観戦した里美さんからLINE(ライン)が届いた。
 「生きててくれてありがとう」
 ありがとう、に目が留まった。初めて母から掛けられた感謝の言葉だった。
 両親は光瀬の前で苦悩を見せなかったが、姉や兄から「自分を責めているよ」と聞いていた。幼い頃から好きなスポーツを自由にやらせた半面、夜遊びを注意しないなどの悔いがあったという。
 「自分にも負い目、申し訳ないという気持ちがあった。競技で結果を出して、育て方は間違っていないと思ってほしかった」。日本一の勲章に、やっと恩返しができたと思った。
 東京大会には推薦枠で出場する。今年6月のワールドカップ(W杯)ドバイ大会で143キロの日本新記録をマークしたことなどが評価されたとみられる。
 選出を受けて里美さんに連絡を入れると、博幸さんが親戚中に電話を始めたという。「うれしそうにしゃべっていたみたいで」。言葉数が少ない父の反応が余計にうれしかった。
 「やりたいことリスト」。事故後、思いつく限り書き連ね、最上の目標が「世界の舞台に立ちたい」だった。摩耶兵庫高ではまったダンスや芝居でのことだったが、この夏、思わぬ形でスポットライトを浴びる。
 「めちゃくちゃうれしいこと。まずは入賞を目指して」。夢と親孝行にはまだ続きがある。

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