記者コラム<サイドライン>乗り越えてきた道のりの険しさ

2021/08/31 05:30

 29日の東京パラリンピック柔道最終日。男子100キロ級に出場した松本義和(59)が、日本武道館の取材エリアで発した言葉に胸を打たれた。 関連ニュース パラ柔道・北薗 予期せぬ形で閉ざされたメダル挑戦 淡路島出身のパラ2選手に地元からエール 28日と29日にそれぞれ出場 パラ柔道の北薗、自動運転バスと接触 28日の試合は欠場へ

 20歳で失明してから柔道を始めた。2000年シドニー大会で銅メダルに輝いたが、04年アテネ大会後は故障などで代表を逃し続けた。「もう一度この場に立ちたいと、17年間、真摯(しんし)に柔道をやってきたつもり。コロナの中で、練習場所もなくなって…」。おえつを漏らす姿に、乗り越えてきた道のりの長さと険しさがにじんだ。
 視覚障害者柔道は、全盲の松本や100キロ超級に出場した弱視の正木健人(34)=兵庫県南あわじ市出身=らが障害の程度ではなく体重別で争った。対戦相手でも見える、見えない世界は千差万別だ。
 表彰式では、全盲以外の選手は自分でトレーに載せられたメダルとブーケを取っていた。五輪と同じく感染対策のためという。入退場や試合中は健常者と変わらない動きをしていた選手が目の前のブーケに手こずっていて、思わずはっとした。
 ある海外のメダリストは、表彰式の去り際に左手で畳を何度もたたき、最後にじっと添えていた。万感の思いを手から畳に伝えているようだった。(山本哲志)

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