昭和初期に途絶えた幻の焼き物「篠山焼」 早世の息子から父が引き継いだ情熱の軌跡、100年の節目に光
2022/11/04 05:30
初代・今村静斎の代表作「象嵌雲鶴文壺」=丹波篠山市立歴史美術館
大正初期の丹波篠山で窯が築かれ、昭和初期に制作が途絶えた「篠山焼」。その創始者、初代今村静斎(せいさい)(1890~1922年)の没後100年を記念した特別展「篠山焼二代の物語」が、丹波篠山市立歴史美術館(兵庫県丹波篠山市呉服町)で開催中だ。早世した息子の仕事を引き継いだのは何と父親。親子が注いだ陶芸への情熱、2人の絆にスポットを当て、「幻の焼き物」ともいえる陶芸品の美を紹介する。(堀井正純)
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初代静斎は旧篠山町西町生まれで、本名は静治(せいじ)。江戸時代、篠山藩で焼かれた「王地山焼」が廃窯になったことを惜しみ、その復興を目指し陶芸の道を志した。京都で修業し、1913(大正2)年に帰郷。自宅に登り窯を築き、翌年、初窯。「篠山焼」と名付けた。作品は茶人や風流を好む人々から評価されたが、32歳の若さで病没した。
跡を継いだのは篠山焼が途絶えることを憂えた父・源太郎(1856~1935年)。米穀商などを営んでいたが、静治が陶工となってからは、販路拡大などその仕事を幅広く支援した。息子の死後、66歳で愛知の瀬戸で自ら陶芸の修業をし、二代静斎を名乗った。
「よほどの思いがあったのだろう」と同館の古西遥奈学芸員。源太郎も作陶に励んだが、35(昭和10)年に他界し、篠山焼はわずか20年余りで途絶えた。
本展では、子孫である今村家の所蔵品を中心に、2人の作品や資料約80点を出展している。古西学芸員は「作品の出来は、初代が素晴らしい」と解説する。
初代は、器に文様を刻み、白い土などを入れて焼き上げた精緻な象嵌(ぞうがん)技法を得意とした。会場では、代表作「象嵌雲鶴文壺(うんかくもんつぼ)」や「象嵌雲鶴文浄瓶(じょうへい)」が目を引く。ほかに、青磁や染付(そめつけ)、三島手(みしまで)と呼ばれる茶陶(ちゃとう)を数多く手がけ、京阪神の茶人らの人気を得た。皇室への献上品と同じ絵柄の茶碗(ちゃわん)や、篠山出身の軍人で陸軍大将を務めた本郷房太郎が初代の死を惜しむ手紙も並ぶ。
13年ごろ、京都で修業中の初代が父へ宛てた手紙は初公開。自宅に築く窯の設計図を同封し、父への感謝、陶芸への熱意をつづっている。
12月4日まで。午前9時~午後4時半。月曜休館。一般500円ほか。同館TEL079・552・0601
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初代静斎の生家で、登り窯が残る今村家・陶々菴(とうとうあん)が、土・日・祝日のみ公開されている。無料。