加古川空襲、体験者が語る恐怖 稲穂の中、生きた心地せず 当時8歳の杉本猛さん

2021/08/10 05:30

米軍機から逃げた当時の体験を振り返る杉本猛さん=加古川市

 76年前、空から米軍機が襲いかかり、銃弾が降ってきた。太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、現在の兵庫県加古川市も戦渦に巻き込まれた。空襲警報発令は数十回におよぶ。住民らは逃げ惑い、犠牲者も出た。当時、命の危機から逃れた体験を聞いた。(斉藤正志) 関連ニュース 迫る米軍機、20機の編隊 機銃掃射の音に「やられた」と覚悟 「私の一言が母の命を奪ってしまった」自分を責め続けた14歳 知られざる空襲 「爆弾が上空で爆発」不気味な金属が降り注いだ


 米軍機が飛来する音が、不意に鳴り響いた。当時8歳だった杉本猛(たけし)さん(84)=加古川市=は、一緒にいた3歳上の友達に背中を押され、水田に頭から突っ込んだ。
 1945(昭和20)年8月。晴れ渡った日だった。杉本さんは友達と2人で、東志方村(現在の加古川市志方町)の水路で、ドジョウを捕っていた。
 米軍機の音は次第に大きくなる。泥まみれになりながら、青々と伸びる稲穂の中で、息を殺した。米軍機は爆音とともに、数メートル上空を飛び去った。生きた心地がしなかった。ほんの数分だったが、長い時間のように感じた。
 帰宅して父に「米軍の戦闘機に襲われた」と言うと、「そんなこと言うな。黙っとけ」と叱られた。日本に不利な状況を話していると知られると、処罰されることを父は恐れていた。
 「戦争は銃後の女性、子どももひどい目に遭う」と杉本さん。食糧不足の中、畑で出会った親子のことも忘れられない。
 杉本さんは、飼料用に干したイモのつるが盗まれないように見張っていた。ある日、畑に出向いた際、痩せた女性が幼い女の子の手を引き、つるを袋に入れていた。あまりにもかわいそうで、とがめなかった。
 「戦争は勝っても負けても悲劇。もう絶対にしてはいけない」と話した。

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